山田和夫と演劇ユニット「山田工務店」展

山田和夫と演劇ユニット「山田工務店」展






開催日程
2003年03月29日(Sat)~04月12日(Sat)

 

方寸力学             山田和夫

「方寸」 ?一寸四方の正方形 ?こころ 心中  の意

確かに正方形 □  をくずすと  |二| →心  になる。

・最小限度の個のかたちで、□ の中は、死(又は何もない)。
・四ツの辺がバランスを保って、生(又は外部)。

…人体を越えたところの精神の理想型として想像できます。


心 を最初から □ で書けば良いのに、と思ったことがある。そのとき逆に、ぶつぶつに切れた各辺に興味を持ったのを思い出す。自分の過去から現在の時間を線的にとらえている訳でもなく、まして面的に人生をとらえる事など出来はしない。ぶつぶつに切れた心の一辺に今生きている、と考えた方が自然なわけです。自分が絵を描くということにしても、よくわからない中を、なにか取り憑かれて描いていたような気がする。そして、そんな時々の一辺が出会う瞬間がある。あーそうか、と納得するというより□ の面―そう、面としてかたち造られた感じがした。一瞬ですけど。

出会いと言えば、心の各辺というより線の出会いを考えると、アラベスク模様が頭に浮かんで来ます。有機的だけれど無限な宇宙、そしてもう一つ英語のLから始まる単語の多くに、人間の生を表す、いわば方寸の四つの辺のバランスに似た語を見つける事が出来ます。Live,Love,Load,Lust,Life, Liberty,Least(最小の)、……etc.

「方寸」・・・私たちが拠るべき一辺すら見いだせなくなった現代、もう一度頭を巡らしてみてもおもしろいテーマではないか、と思っております。

「外連」

Keren. 歌舞伎の「早変わり」「宙吊り」等の軽業的演技をいいます。専ら俗受けを願う芸であり、同時に正法(客観的正当性)を破る動的なエネルギーの事でもあります。しかし、正法嗜好の観客からはいわば邪道の芸としてみられていたようですが、その辺の枠組みについては、私自身歌舞伎をあまり良く知らないので差し控えるとして、観客をある種の時空に引き込む「外連」というものに美術家としての関心をもっています。あまり普段聞きなれない言葉なので私なりに小話にしてみました。

小話1.「一人の少年の家の庭に、一本の木がありました。ある日、彼の母親が『あの木に登ってみなさい』と彼に命じたので、彼は一生懸命に上のあたりまで登ったのであります。彼は得意気に下にいる母親を見ました。その時です。彼の母親は、彼に優しく声をかけました。『ハイッ、そこで手を離して!』……。」
この小話が外連の台本であれば、少年は、手を放さなければなりません。なぜなら木にしがみついている少年は物質的現実で、彼の木登りは正法としての芸である訳ですから。観客にしても木の上の得意顔の少年を観るよりも落ちる少年を観ことの方がずっと見応えがあります。
・・・少年は手を離しました。一瞬ではありますが彼が空中で感じた事は、下で彼を受け止めてくれるに違いない母の事ではなく―それは、雑多の認識を越えた、基準のない空間への引っ越しであったのです。観客もそれを多少感じる見応えの内に・・・

小話2. 私の年とった母が、ある日脚立に乗って、伸び過ぎた庭木の枝をノコギリで切っていたので私は、「そんな事ァ、俺が後でやるから、危ないからやめろ!」と言いますと母は、「下に落ちりゃ1メートル、上に落ちたらきりが無い、だから大丈夫だ」と申しました。
この小話は私の家庭での事です。人間を物質と解釈すれば上に落ちるはずはないのですけど、霊性と解釈すれば上に行こうが下に行こうが不思議は無い。私の母も年をとって完全にしわくちゃの婆さんです。物質的には張りも無く、年々縮んでいくのがよくわかります。しかし、その分霊性のひろがりのようなものが妙に感じられ、その時は思わず、うなづいてしまいました。

霊性とは、人間の基本的「すなおさ」に根ざした生命の本来的エネルギーの事です。「外連」とは、現実には見えない霊性(「すなおさ」)の移行を極めて視覚化(絵空事化)した表現を言うのではないかと考えます。その霊性が、きりの無い空間「外」に連なるためには、主体(例えば小話の中の少年、私の母)は「外」という総体と対峙するだけの表現・技術を持ち合わしてなければなりません。なぜなら霊性そのものを描く事は出来ないからです。あくまで、見えるものにおいて表出・感知される、物を使うしか方法を持たない美術においても同じ事で、物が物である事を諦めて一つの生き物に転化されるまで、「外連」には至らないと思います。

 

PROFILE

山田 和夫 (やまだかずお) 画家・演出家

1975年から美術家として毎年発表活動を続け、84年〜90年「外連」シリーズで目の機能と絵画にこだわり続ける。

93年演劇初参加となる「S 空白の舞台をめぐって」で斉木燿氏と共同演出。

97年演劇ユニット「山田工務店」結成。同じ年「近景の舞台」、98年「個の矩形」を発表。
00年[半島1]に参加、「個の矩形2」「南下浦カフェ」を発表。
現在も演劇と絵画を往来する形で制作を続ける。

1947 東京生まれ

< 個展 >
1976  「原色日本の美術の目方」 自宅 / 埼玉
1977  「サンライズ・サンセット」 サトウ画廊 / 東京
1979  「石川啄木考」 サトウ画廊 / 東京
1979  「なぜ、今、死なないのか?」 駒井画廊 / 東京
1980   山田和夫個展 駒井画廊 / 東京
1981  「地を離れる暴力」 ルナミ画廊 / 東京
1982  「女から生まれなかった赤ン坊」 ルナミ画廊 / 東京
1984  「外連」 バンナム・プレイス / サンフランシスコ
1985  「外連」 真木画廊 / 東京
1985  「外連」ハワイ移民100年、日本文化祭 NBCホール / ホノルル
1986  「外連」 小林画廊 / 東京
1986  「外連」 埼玉県立近代美術館
1987  「外連」 ギャラリーるなん / 東京
1987  「外連」 埼玉県立近代美術館
1988   山田和夫個展 日辰画廊 / 東京
1988  「柄と地」 パレルゴン? / 東京
1989  「地と柄」 ギャラリーサージ / 東京
1990  「透き間の確立」 ときわ画廊 / 東京
1991   山田和夫個展 ときわ画廊 / 東京
1992  「FLAG」 ギャラリーサージ / 東京
1993  「FLAG」 なびす画廊 / 東京
1993  「KELEN」~「FLAG」 テアトルフォンテ / 神奈川
1995  山田和夫個展 ギャラリー檜 / 東京
1996  山田和夫個展 なびす画廊 / 東京
98~01  山田和夫個展(4回) なびす画廊 / 東京
2003  山田和夫個展 なびす画廊 / 東京


< グループ展 >
1975  「プラモデル」 サトウ画廊 / 東京
1976  「ブラモデル?」 サトウ画廊 / 東京
1977  「幽霊」 サトウ画廊 / 東京
1979   四人展 真木画廊 / 東京
1981   人形展 川上画廊 / 東京
1986  「万象の変様」展 埼玉県立近代美術館
1987   グループ展 エキティプラナーズ・コーポレーション / カナダ
1987  「万象の変様」展 埼玉県立近代美術館
1987  「良苦多過利」展 NHK鶴岡放送局ギャラリー / 山形
1990  「春夏襲踏」展 ギャラリーサージ / 東京
         第9回平行芸術展 小原流会館 / 東京
1993  アーティストセンター展 東京都美術館