DRAWINGS 2003

DRAWINGS 2003







開催日程
2003年09月02日(Tue)~09月13日(Sat)

 

在所 – aridokoro – を求めて                    永倉 知美

在所、それは私達の中に予め用意されているものなのだろうか。例えば人体に組み込まれたツボのようなもの
だろうか。確かに肩こりに効くツボは、多少の例外があったとしても万人に用意されているように思える。た
だし、次のように考えることもできる。痛みがあるからツボが形成された。つまり永い時間をかけてツボは人
体に用意されたと。そして在所は長い時間をかけて求められ、一つ一つ確定され図式化に至る。小宇宙の在所
を示した地図。そして宝の埋蔵を示した失われた文献。

後者は、例え発見されたとしても現在の私達にとってあまり意味を成さないだろう。翻訳できないからではな
く、使われている地名(?)がおよそ不明だから…あるいは彼の地にあって金銀財宝が眠っていると思い込ん
でいるに過ぎないからだ。

魂の在所とは何処にあるものなのだろうか。ある人は脳に、またある人は心臓にあるという。またある人はこ
の話題そのものを忌み嫌う。きっとその人の魂が自らの思想上、拒絶するのだろう。果たして魂は何処からき
て何処に向かって行くのだろうか。虚空からきて虚空に帰るのか ?

あるいは魂の在所には既に青写真のようなものが用意されているから…私達は望むことを実現するために努力
できるのか。そしてまた自らの在所を求めて彷徨い、時に別天地を求め、旅に出もするのだろう。

ドローイングという表現は、ある種の即興演奏に似ていないでもない。表現者の過去、現在、未来が瞬時に出
会い凍結されもする。断片的であればこそ統合的であるとは限らない。そこには絶対の完成を求めるべきでは
なく、表現者の魂の求める所、精神の産物、その形成の瞬間を垣間見るのである。そうした在所とは、表現者
に用意された技術からはみ出している部分、見えないはずの魂に触れる時を意味しないか。

然るに在所とは、世界と出会う場所。探し求める方法は幾通りもあれど…またそれらが交差する幾つかの瞬間
もある。それを単に共時的と括らせることはできない。全く別種類の表現の出会いもある。場合によっては相
殺しかねない。相補って完成される何かではあり得ないのだ。価値観の違いという大いなる揺らぎも、また見
る人によって増幅もされれば減幅もされる。この幾重にも多層化した交差地点で何を見つけ出すのか?

人の魂に出会う場所、自らの魂に出会える場所、それが糸口であって失われた財宝の在所とは、実はそんな所
に隠されているのではないだろうか。                        2003年 8月15日



for immature plane                       稲 憲一郎

99年 distance no.19、 00 年 distance no.20 という二つの展覧会のカタログに、私は「世界を単一の様式で
対象化することは出来ないだろう、だとすれば単一の様式に身をゆだね、そこに閉じこもるのではなく、同時に
多様な形式を持ち、断片的で多層な空間を行き来する。そうした空間の在りようにこそ現在のリィアリティがあ
り・・・・」と書いている。また「この交雑する空間の、不安定な今ここでと、価値の揺らぎの中で多層な空間
地図を重ね合わせて・・・」とも書いている。
私にとって、制作とは世界と出会う方法であり、作品は世界と出会う場でもある。そうした視点から、単一の形
式の中だけでは、今ここでというリィアリティを持ち得ないと言う欠落感がある。

私は1980 年代から、木で作った立体的な形態を支持体として、その上に線や色彩を用いて描くといった作品を
作ってきたが、こうした作品の制作は、ある位相において世界と出会う契機であるとしても、私という総体にお
いては、何か欠けているもの、見えないものがあると感じる。

もっと違った位相から見てみたいという気持ち、そうした欲望が、90年代後半から平面による作品という、異
なる形式を取らせているのかもしれない。今回のドローイングは立体的な作品が物であるがゆえに、現実へと遡
行する、ある種の非完結性と、平面による作品の全体性、あるいは統合への意志といったものがもつ矛盾の回路
と周縁についての思考の practice と考えている。

そして、その中には「何を、どの様に描くのか」という問題がある。
絵画が常に「何か」についての間接化として読みとられるのであれば、「何を」を対象化するという、もの(世
界)と私との関係は、あらかじめ認識の field で濾過されるのではなく、「どの様に」という、描く方法や形式
において絵画の実践の中で形成されるのであり、「何を」描くかという選択は、私と世界との関係を指し示すの
ではなく、この絵画という表面のざらつきの中で現れるのだろうから。         2003年7月31日



「虚空の湖(うみ)に眠る鳥」                     玉 征夫

   
制作にもいきづまり、おまけに体調も最悪であった1999 年の夏、ペルーに1ヶ月ほど滞在した。父の享年を少
し過ぎたばかりの私は、漠然とした死のイメージに支配されていた。ペルーの首都リマは、ゴーギャンが幸せな
幼年時代を過ごしたところだ。ゴーギャンという画家の一生は、近代文明との相克にあった。それゆえタヒチと
いう楽園の消失は、彼の生の終わりでもあった。ゴーギャンの遺言ともいうべき「我々は……」の問いかけは、
絵の中の白い鳥に聞く間もなく、キノコ雲の現実となった。

インカの神々に助けられたのか、しだいに体調を取り戻した私は、クスコからマチュピチュへと、インカ滅亡の
道をたどりながら、最後にナスカの地上絵を見た。その地上絵は、子供の頃、地面にクギで描いていた B 29を
思い出させた。

戦後まもない頃であった。焼跡に建てたバラックのような家に、フーテンの寅のような大叔父が、たびたびやっ
てきては、両親を困らせていた。大叔父は父方の祖母の弟に当たる。放蕩の限りを尽くし、代々続いた飛騨春慶
塗の生家を潰したといわれていた。若い頃、南画を学んだという彼は、いつも紙や筆などの描画道具を持ち歩き、
動物や庭の草花をすばやく描いては私を驚かせた。私はこの大叔父から初めて絵の手ほどきを受けた。しばらく
して家に来なくなったが、絵の道は断念したらしく、蒔絵師となって一生を終えた。

今年の2月、SPC GALLERYで「虚空の湖に眠る鳥」というタイトルの作品を発表した。ドローイングで使って
いたスクラッチの線に、初めて細い筆の線を加えた。その筆の線の見えないところに大叔父の手があるのを感じ
た。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
ゴーギャンの言葉が虚空から響く。                         2003年7月31日



                                  新里 陽一

アメリカひじき火垂るの墓真夜中のマリア心中弁天島てろてろ好色覚え帳壁他人の顔獅子孔雀春の雪奔馬暁の寺
天人五衰眠れる美女伊豆の踊子舞姫山の音千羽鶴古都細雪細雪細雪痴人の愛刺青秘密少将滋幹の母鍵瘋癲老人日
記吉野葛七回目物語蓼食う虫春琴抄卍猫と庄造と二人のおんな文章読本墨東綺譚つゆのあとさき踊り子あめりか
物語ふらんす物語すみだ川二人妻腕くらべ老子野菊の墓檸(れもん)檬我が愛する詩人の伝記随筆女ひとあだし
野風の又三郎銀河鉄道の夜山椒魚集金旅行駅前旅館遙拝隊長本日休診多甚古村黒い雨軍歌「戦友」カインの末裔
惜しみなく愛は奪う生まれ出づる悩み一房の葡萄小さき者へ生まれ出づる悩み或る女或る女焼け跡のイエス処女
懐胎紫苑物語地の群れ虚構のクレーン走れメロス晩年人間失格桜桃二十世紀旗手散る日本復員殺人事件安吾新日
本地理安吾史譚歌行燈高野聖、カードケースに入れられた金閣寺前の一組の男女の新婚旅行写真賭はなされた悪
魔と神実存主義とは何か存在と無想像力の問題革命か反抗かスウェーデンの演説不条理と反抗太陽の讃歌反抗の
論理幸福な死ギロチン不条理アストゥリアスの反乱裏と表結婚異邦人シーシュポスの神話…寝転んで何気なく本
棚を左側から1段目、2段目を見ていると小説のタイトル等がその様に並んでいてはっと自らに気が付き、ここ
でペンを置くことにした。                           平成十五年七月三十一日