竹内 博 個展

竹内 博 個展

開催日程
2005年03月01日(Tue) 〜 03月12日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday

 

「 生活者の風景 -竹内氏の制作- 」                     山岸 信郎
今は昔、といってもせいぜい50年ほど前のことになろうか? あるフランスの美術雑誌で彫刻は音楽に似て時間芸術であるという説を読んだことがある。エッセイ程度のもので確固とした学術論文というほどのものではなかったはずだが、フランスの美術雑誌には応々にして大胆奇抜、人の意をつくような珍説が載っていることが多い。さてその論旨は次のようなものである。
通常、視覚に訴えることを第一義とする芸術(絵画、彫刻)は、聴覚に訴えるものとして時間の流れの中に形成される音楽とはジャンルを異にする。鑑賞は静的な、固定的な空間の中で成立するが、彫刻は絵画と異なって本来は三次元のものである。鑑賞は静的とはいえ、定位置に据えられた作品の周囲をグルグル回ることを自ずと強いられることになる。
つまり音楽は音の変化、継続によって時間を形成するが、彫刻の鑑賞にあたっても、人間は自ずから発動した時間の中に身を置くことになるというのである。
日本流でいうと「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」ということになろうか?

以上、余談。本論の竹内博氏の制作に立ち返らなければなるまい。
竹内氏はまさに団塊の世代、今はすでに50歳を超えているはずである。最初、日本橋の小さな画廊で個展を開いたのが19歳であったから作家歴は30年を越す。往時、1970年の美術界は世界的に新しい美術の出現に多大な情熱を燃焼させていた。時代の上でも随所で変革が叫ばれ、若い世代のエネルギーは直接的な行動として各国に波及していた。まさに世界は政治の季節であったというべきか?
美術家も絵筆を捨て鑿を置いて、来たるべき新たな世界の更なる参加を求めてアトリエを後にする者が続出した。コンセプチュアルアート、ハプニング等々、旧来の美術のジャンルを破って様々な表現が試みられ現出した。竹内氏の美術家の出発もそんな状況の中にあって初めからインスタレーションとして行われた。

今にして思えば、そのころ竹内氏はさらに大きな状況の変化を担わされていたと思う。
突然に襲った父君の急逝である。竹内氏はその頃、高校卒業を控えて美術系大学への進学を志し、美術研究所に通っていたと聞くが、祖母、母親、姉を抱えて、一家の負担は一挙に彼の双肩に担わされることになった。家業はオフセットによる美術印刷、彼の若年の頃からの美術家志望も、その生い立ちの環境によるところと思われるが、印刷業務、技術についてはほとんど知るところがなかったらしい。19歳の彼は、父親急逝の翌日から業界の組合に顔を出し、煩瑣な業務に携わらなければならなかった。作業所を併せ持つ営業所は中小の印刷業者が犇めく文京区小日向。まさに今なお東京の下町の名残を残す庶民の町である。進学の夢などもはや考える暇もなかったと思う。窮乏と多忙の中から美術に関わる辛うじての表現が、当時にわかに開けたインスタレーション、パフォーマンスの世界であった。それはアトリエも、画材も、創作に耐えなければならない長時間の制作作業も必要としない。日常生活、行動、思惑と必ずしも矛盾しない表現の世界であったと思う。
彼は絵筆を捨てたのだと思う。三十余年にわたる彼との付き合いの中で彼の描いた絵画というのは、展覧会のために描いたチラシの、原色の交錯するアクションペインティング風の作品一点のみ、私にはその記憶しかない。

かくして三十有余年、彼のインスタレーションによる制作は、町の画廊に、美術館に、山地に、海浜に、そして国の内外を問わず繰り広げられた。一年の安らぐこともなく。寡黙に、衆目を意識することもなく。それが生活の資になるなどということは全く念頭になかったと思う。

さてこの小論の冒頭に、彫刻も時間芸術であるという多分に奇怪な一説を紹介した。
竹内氏のインスタレーションによる制作は、形式としてはいうまでもなく彫刻の反対極として展開されるものであるが、上掲の説と同様な仕組みの上に成り立つものと思われる。竹内氏の制作の素材として用いられるものは常に「其処にあって」「やがて消えていくもの」である。室内であれ、野外であれ、素材は「組み立てられる」こともなく、あるがままの状態に設置される。設置というよりは放置されるというべきか。たとえば、野外なら朽ちた落ち葉、室内なら靴底に付いたゴミ等々、時に街角では極めて存在の主張の稀薄なビニールテープ、あるいは透明な包装紙など。それらの物があるエリアに散乱しているか打ち捨てられているかである。
人はそのエリアに足を踏み入れ散策しなければ、それが「何であるか」、何故にそんな行為がなされたかを感じ取ることも、まして考えることもできない。感受も思惟も歩行とともに生起し刻々と変わっていく。それは日常の時間の流れそれ自体であるというべきであろう。意識されない無意識の時間を含めて。

人は壮大な建造物や美術館に展示される古今の傑作に驚き、感激する。毎日報道される大事件に、劇中のヒーローやヒロインに時として悲嘆の涙を流す。それらのことは人の日常生活に必要欠くべからざるものとして私も賞賛する。文明であり文化である。
しかし、「在る」世界にもう一度目を凝らそう。
「在るべき世界」、理念、理想、叫ぶにはなんと美しく、清く、正しい世界であろうか。だが人は天国に常住する事はできない。人は永遠に存在の矛盾を克服することはできないだろう。
今、人類の大部分は、無辜の民として大いなる矛盾の中に生きている。生活の実態とは、そういうものではないか。
竹内氏の乖離する世界もまたそういうものであろう。表題を「生活者の風景」とした所以である。終わり。

2005年 1月20日

山岸信郎さんは、かつて東京、神田にあった田村画廊、真木画廊、駒井画廊の画廊主で、評論家としても活躍されました。
特に1970年頃から90年代にかけての一時代に、現代美術のオピニオンリーダーとして多大な貢献がありました。
2008年11月4日、急性心不全のため惜しくも逝去。享年79歳。ここに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。