玉 征夫 展
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玉 征夫 新作展 「事変2022」
1.10(Mon) – 1.22(Sat) 2022 Closed on Sunday
PM12:00~PM7:00 (Last Day PM5:00)
幼い頃、家の周りは空襲の焼け跡ばかりであった。戦争に大人たちも懲りていたので、平和は永遠に続くと思っていた。しかし平和と戦争の境目は解らないようだ。わかった時は遅いのだろう。
1937年は日華事変のあった年だが、前年に召集された父が砲兵として参戦している。私の実記憶の始まりは戦後の光景にあるが、なぜか父の関わった満州が記憶の源流のように思えてくる。2015年より発表している「事変の夜」は戦中の宴という、ありえない妄想を表現したものであった。もっとも当時の指導者の無能さを考えると、現実にあった気がする。
「事変」を冠したシリーズを始めたのは、2017年の個展からであった。日中戦争で中止となった1940年のオリンピックを2020年の状況に重ねるのが最終目標だったが、コロナ禍の影響で軌道修正するはめとなった。結果、現れてきたのが「棄民の裔」であった。
今回発表する「棄民の裔」は昨年に続くものである。顔を描くようになったのは、コロナ禍で人々が分断して行く様を見る機会が増えてきたからだ。顔を描くと言ってもふだん絵を描くことと異なる。木彫においても習作する気分でやっている。顔に特定のモデルはいない。ドローイングや木彫をやっていると雑念が無くなり、顔と対話するようになる。その顔を見ていると満州孤児のことを想う。彼らは私と同世代である。
私が小学4年四年生の頃、一年生の妹のクラスに満州から引き揚げてきた人の子弟が編入されてきた。会ってみて驚いた。私よりかなり年長だったからだ。事情を聞くと、会話はともかく、読み書きができないということであった。満州について知るのは後年になる。
戦後、満州に取り残された邦人に対して、吉田茂首相の日本政府は、本土の食糧難などを理由に彼らの帰還を拒否したのである。祖国に見離され、棄民となった彼らを救ったのは皮肉にも米軍であった。もっとも人道を理由に彼らを助けたわけではない。絶望した残留日本人が、共産主義者になるのを恐れたからである。
棄民は現代もある。原発事故で福島を追われた人が、ホームレスになった話を聞くと、満州に棄てられた人々と何ら変わらない気がするのである。常ならぬ日常となったコロナ禍は、終わりが一向に見えない。終わりがあるとしても自己責任が待っている。
《 棄民の裔 》木彫習作 / 樟, 姫林檎, えごのき
《 棄民の裔 》 ドローイング / 紙にエンコスティック
《 棄民の裔 》 タブロー / キャンバスに油彩
プロフィール
TAMA IKUO Profile
1944 岐阜県高山市生まれ
[主な個展]
1982 ~ '12 画廊春秋 (東京), 村松画廊 (東京), 真木画廊 (東京), Atelier Meidsem (パリ),
1982 ~ '12 J2 GALLERY (東京), ギャラリー宏地 (東京), 中野画廊アヴェニュー (東京) 他
2000 セッションハウス・ガーデン (東京)
2003 ~ ’22 SPC GALLERY (東京)
2016 GALLERY UNICORN (川越)
2018 わたなべ画廊 (飯能)
2022 モンミュゼ沼津 沼津市庄司美術館 (沼津)
[主なグループ展]
1992 第5回アクリラート展 目黒美術館 (東京)
2012 画廊の系譜 「浅川コレクションと1960~80年代日本の美術」 足利市立美術館 (足利)
2012 ~' 20 HOLONIC 「個と全体の調和を図る」 GALLERY UNICORN (川越)
2014 「この部屋の隅の、」 Lithograph Lab TSUKUHAE (東京)
2016 「連画のいざない」 足利市立美術館 特別展示室 (足利)
2016 Take the A line (on the Incident) SPC GALLERY (東京)
2017 玉手箱のある絵画展 -境界を越えて- MeiPAM 1&2 (小豆島)
2019 Incident Night SPC GALLERY (東京)
2019 浅川コレクションの世界「創造へともなう眼」足利市立美術館 (足利)
2021 ~' 22 HOLONIC 「個と全体の調和を図る」 京王プラザホテル (東京)
[パブリックコレクション] 足利市立美術館, パリ国立図書館