勝田徳朗 x 高島芳幸 展
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SPIRIT PRODUCTS CONCEPTION 2023
勝田徳朗 x 高島芳幸 展 「もののあはれ、いしのあらわれ」
「もののあはれ、いしのあらわれ」について 勝田 徳朗
*タイトルについて、高島氏と勝田のメールやり取り抜粋 (訂正と加筆あり) 2023.6
「もののあはれ」
高島氏から例えば、漱石の「草枕」における「見られる自己としての那美(オフィーリア)さん」の視点として、僕たちの作品を見てみる・・・との意見があって、直感的にこれは「もののあはれ」だ・・・と思いました(勿論近代日本の西洋文化導入における受容と葛藤、独自性の確立を模索する意識と行動などに対する思いもありました)。
享保の改革や寛政の改革によって規制翻弄され、息苦しい封建制度やシステム形成中に、自由な情緒や無常観、表現の自立性を文学の本質として「源氏物語」に見た国学者・本居宣長の卓見について、理解は不十分ながら西行や鴨長明、芭蕉に通じる「もののあはれ」や「幽玄」を直感した時に、僕と高島氏の作品世界の「もの」の扱いに思いを馳せました。
「いしのゆくえ」
そして、2人展出品作のイメージとしては、やはり「もの」について考える時、最近の梱包資材の背景にある諸要素を想像させる高島氏の作品シリーズと、僕のヒトや職人の記憶を想起させる道具類の廃棄物による立体作品によるコラボが浮かびました。
更に高島氏のズリ石にテンションを掛けた紐を用いた歴史・時間と建造物・自然記憶の距離計測立体作品「MDUSシリーズ」と、僕のコロナ禍以降始めた、描画の基礎要素(点・線・面・形象・イメージ、等)を追体験しながら、タマゴの形象や要素を様々に描いた油彩画作品とのコラボも面白そうだなあと思ったりしましました。
ここでの直感ダジャレタイトルは、石の行方と、手前勝手な意思をもって制作する僕の絵画と掛けています。}・・・結局僕は絵画を出品しないで、金属加工作品とmetal dreamというテキストを並行して展示することにしました。
その後、今回の2人展について共通意識を確認したことは以下の通りです。
①世界から二人の表現を客観的に見た時の印象や感想の何らかの提示
②ものの特性を超えて、人や自然との関わり(流通・生態系・技術伝承・リサイクル、等)に内包される意思の積層が見えてくる作品
③言葉を作品と共に展示すること、あるいは作品のテキストを展示すること
その他、僕から見た高島芳幸氏の表現について、高島氏から見た僕の表現について述べた文章をそれぞれの作品の傍らに添付します。あるいは、それぞれが二人の表現の共通性と違いを述べた第三者的見え方を考えてみます。
既存のモノを素材にしたそれぞれの作品を数点ずつ展示し、その素材の用途特性から表現に至る経緯を示す解説を添付します。
勝田 徳廊 X 高島 芳幸 展 「もののあはれ、いしのあらわれ」 インスタレーション / 2023
勝田 徳朗
上 《 Return to the egg ’23-4 》 吊り金属, 画仙紙に文字. / 立体, インスタレーション
下 《 Metal dream ’23 》 金属, 木材, 文字. / 立体 (廊下側)
高島 芳幸
上 《 関係Jun.2023 in SPC GALLERY -勝田徳朗作品のあるSPC GALLERYの空間に南相馬浦尻海岸の石をおく- 》 南相馬浦尻海岸の石2種 / インスタレーション
《 用意されている絵画 Jun.2023 「南相馬の海〈2021.7.21〉の写真にフレル-Ⅰ」 》 印画紙に油性パス / ドローイング(2点組)
《 用意されている絵画 Jun.2023「SPC GALLERY の空〈2023.6.22〉の写真にフレル-Ⅰ」 》 印画紙に油性パス / ドローイング(2点組. 後日, 床に追加)
下 《 用意されている絵画 》 開いた封書(三上仁より)に色鉛筆, 封書表裏のカラーコピー. / ドローイング(廊下側. 2点組)
↓ 下写真の Click or Tap で拡大画像を開いてご確認下さい (上5列, 勝田. 下5列, 高島) ↓
プロフィール
美術表現の素材について(雑感) 勝田 徳朗
作品の素材ついて、少し考えてみたいと思います。
歴史的に周知の説明的記述も多いですが、今回の2人展の確認事項の一つにある、「世界から見た自分の表現」に即してのことと思ってもらえれば幸いです。
従来から美術作品の表現素材には様々なものがありますが、改めて振り返ってみると、それが世界各地の古代の壁画や線刻などに始まって、目的に応じた絵画制作の方法や絵具の普及、正体不明の巨石や洞窟や岩肌に残るレリーフや原始宗教に関わるイコンや装飾としての造形物から、神殿の装飾的な彫刻や写実的な立体彫刻を形成する歴史的背景、木・土・石・骨器、陶磁器、道具や武具としての金属造形物、宗教における言語に変わる布教的イコンとしての彫刻や、時の権力者の肖像やモニュメントとしての彫像など、各地の特産的な素材を用いて来ました。同様に近代の立体作品の素材や道具類も変化しました。
しかし19世紀以降の世界が、身分制度や宗教の歴史的革命や産業革命や科学的革新による工業製品の大量生産体制と流通機構形成の激変の中、20世紀の美術界も大きな潮流のうねりに巻き込まれ、試行錯誤を繰り返しました。世界観としてヒトが視覚的表現を様々に試みる必然性や、従来の美術様式の解体・再構築によって、素材はそれが選択された素朴な要因から、営為の継続と収束まで、常に表現そのものの重要な要素となって来ました。
また、素材以外でも大きな変化は、絵の具に関してフレスコ画やテンペラ画からルネッサンス期の油彩画や、20世紀初頭のメキシコ壁画運動を契機にアメリカで開発され、大画面の絵画の流行に伴って普及したアクリル絵の具が挙げられるでしょう。
そのような動向と並行してヨーロッパにおいては、ダダイズム、シュルレアリスムやキュビスムなどの作家の中に、コラージュやアッサンブラージュ、オブジェを制作する傾向が見られ、伝統的素材を用いて来た彫刻界においても、第一次世界大戦前後のロダン以降自己と彫刻を問い直しながら新たな表現と素材を求めるロッソやブランクーシやアルプなど、また、ピカソやモディリアーニ、マチス、ドガ等の画家による立体作品、特にピカソの身近な物を使った作品に影響を受けた、ロシア構成主義作家の制作に現れた柔軟な表現が、相乗効果をあげながら立体作品の素材拡張に寄与したと言えるでしょう。
とりわけ現代の表現の方法や思想に大きな影響を及ぼしたのは、印象派やキュビスムを通過したダダイズムのマルセル・デュシャン「泉」(1917年作)から始まるレディ=メイド作品で、シュルレアリスムの「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いのように美しい・・・」に象徴される、異種素材の組み合わせから生じる新しい意味と見え方、常識的な用途と意味を異化させた作品が出て来ました。美術館やギャラリーと言う名の解剖台に作品の展示空間を示すメタファーに繋がったと思います。デュシャン以降の美術表現は、自由度を増幅させシュルレアリスムからコンセプチュアルアートに繋がりますが、特に彼の「大ガラス作品」や「遺作」は、その作品の公開に至るまでチェス三昧で長期間凄し、制作を放棄したかのように見えた行動も、一種のパフォーマンスアートにも見えます。謎解きのような長いタイトルや偶然の産物も作品素材とする柔軟性など、多分に神格化されたところもありますが、20世紀の美術表現に革新的な影響を与えたと言えるでしょう。
そして、ポップアートやネオダダなどによる表現の拡張は、自然物から新しい工業製品に至るまでのありとあらゆるものが素材として扱われるようになります。
第一次世界大戦における大量戦死者の現実に、人間の生存と思想の限界を感じ、道徳や観念論的価値観が崩壊しました。ニヒリズムと反抗のエネルギーの反映とも言える反芸術運動のダダイズムは、旧来の芸術の考え方や方法からも解放され、無意味無価値の非合理性を前面に、虚無的ともいえる偶然の発想による作品を多く手掛けました。マルセル・デュシャンの網膜的絵画からの脱却としてのレディ=メイドの考えに共感して、多くの美術家が作品制作を試みました。一見アナーキーで破壊的にも見えますが、大きく傷ついた人間の心の解放運動でもあったようです。
それはシュルレアリスムにも継承されますが、人類は愚かにも先の大戦の20年後に再び世界大戦を起こし、史上最悪の死者を出す結果となりました。全世界の人間が重く打ちのめされましたが、それでもなお生きて行くために只管に暗中模索したのです。
美術表現においても戦勝国アメリカを中心に、ヨーロッパからの亡命芸術家達や国際交流の活性化がもたらしたアンフォルメル、タシスム、ジャンクアートなどの当時の先端アートを包含しながら、絵画では生命が爆発するような抽象表現主義、アクションペインティング、カラーフィールドペインティング、ミニマルアートと続き、また、彫刻では様々な作品制作にあたって電動工具の普及も制作方法に大きな変化を与えたと思います。ポップアートやネオダダ、プライマリーストラクチャー、コンセプチュアルアート、環境芸術、ランドアート、社会彫刻などが出現しました。
1950年代ヨーロッパに現れたアンフォルメルにおける、実存主義の影響もあって極限状況や不条理な人間存在を表現したかのような作品が、不安な精神性の反映と爪痕を如実に示していました。また、敗戦国日本に目を向けてみると、アンフォルメル運動の主導者タピエの来日と並行して具体派の独自の活動がありました。中心人物の吉原治郎の「誰もやったことのない今まで見たこともない作品を制作する」考え方は、自己と表現を問う人間にとって根源的なものと言えます。東京都美術館で開催された無審査無鑑査の「読売アンデパンダン展」、それに続く幾つかの現代美術展も、表現領域を飛躍的に拡大させました。
また、1950年代~70年代の経済高度成長期の過度な消費礼賛と美術作品への投機的購入がありました。しかし、80年代の経済安定期を過ぎて1991年以降のバブル崩壊によって美術界の景気も冷え込んで行きました。この間、海外文化の相互交流が頻繁となり、海外留学や研修、在住作家によって現代美術の動向がリアルタイムで入って来るようなりました。その結果、1960年代からの世界的動向の学生運動の旧体制を変革する若いエネルギーが爆発して、日本の美術界でも日展を頂点としたアカデミックなピラミッド構造への批判的動向が顕著になり、徐々に保守的な美術団体への忌避意識や質的変化が進行して来ました。ハイレッドセンターや概念芸術、もの派と呼ばれる若い美術家たちの独自の表現活動が多くなり、美術手帳等の専門誌紹介によって日常生活や身近な環境や自然からの作品制作や発表場所の多様化が、従来の絵画や彫刻と異なる作品素材や展示環境を一般化させ、若い美術家や学生達にも大きな影響を与えました。
僕もその影響を強く受けた一人で、雑誌情報や作品鑑賞に心躍らせ感動し、現代美術の追体験の様な作品制作に没頭しました。そんな4年間を大学で過ごした後に、就職した故郷房総半島の田舎では、ミニマルアートや現代美術の作品制作の環境とはかけ離れた、穏やかな海岸と田園風景に囲まれた借家住まいでした。やがて、しばらくして知人の廃屋再生で得た廃材と、海岸に打ち上げられる流木に出会いました。以後40年以上に渡って、僕の作品素材の原点はここにありますが、当初は素材としての意識は空間をキャンバスに置き換えた、絵の具的な意識の反映が強くあったように思います。つまり、素材そのものの本質や特性をまず造形的な枠組みで捉え、そこに物語性を加味して行きました。もちろんそれ以外に僕の中での作品制作は、もの派以降の展開と造ることの単純な歓びの実現、自身が見てみたいと思う作品造りの具現化でした。しかしある時から素材自体と造ることの営為の継続や、生活上身近に起こる生死の経験が作用して、あらゆる物事に生滅のイメージを重ねるようになって行き、少しずつ変化が現れたようです。造形的にはタマゴの形体とイメージを借り、流木や廃材で様々に制作展開するようになりました。
その後、コンピュータの普及一般化が急速に進み、湾岸戦争や各地での紛争が勃発し、宗教や人種、地政学的パワーバランスを図る無益な競争も激化、各国首脳の無能無力と強欲を見せつけられながら、情報として一方的な報道の激流に他人事のように慣らされて、さらに世界的な新型コロナウイルスの感染拡大による閉塞状況が、人の生命の在り方や行く末にも、得体の知れない不安感を常態的に持つようになって来ているようです。
記述が本題から大きく逸れましたが、これは人間の生存に対する真摯な問いかけと、表現活動がいかに密接な関係にあるかと今更ながら思うからです。
繰り返しになりますが、産業革命以降のあらゆる物品の大量生産が、交通機関と流通機構の飛躍的発展によって時間と空間の質を激変させ、人間や文化技術の交流とグローバル化が新たな社会の功罪も生み出しているようです。例えば、それらの一見人間や物事が進化発展したかのように見える幻想を生みだし、自転車操業のように幻想生産の書き換えが進む度に、負の遺産も蓄積して行くジレンマがありますが、それらが個と集団、家族と労働、性差や年齢差に対する意識の再生産を期待と忘却の反復運動となって、IT化による思考や知覚の平板化とマニュアル化、バーチャルリアリティーとリアル現実?の混在と混沌の世界を促進しています。僕も様々な情報を得ることもありますが、政治経済に関してはフェイクニュースが溢れているようで、それを見抜く知識も知見もなく、パソコンやスマホの画面を覗き頼ってしまう日常を過ごす自分を疎ましく思うこともあります。
しかし、地球温暖化とはいえども生活環境の周囲にも四季の変化が推移し、動植物の生きるエネルギーに驚き、短い生滅の循環を同じ生物として体感する時、性懲りもなく?何か少し生きる原点に立ち返っての作品制作への意欲にも繋がって行きます。
その性懲りのなさを踏まえて、僕は制作を継続して行くうえで、いつの間にか用途を失って廃棄された道具類や、人の手が何かを創り出すために使った、歴史と物語のある道具類を素材として用いるようになって来ました。このことは自分自身の生存の立ち位置や痕跡と行く末、あるいは人間の生滅としての「もののあはれ」を視覚化する試みとしての「いしのあらわれ」なのではと思いながら現在に至ります。 2023.6 (かつた のりろう)
左 高島 芳幸 《 用意されている絵画 Jun.2023 「南相馬の海〈2021.7.21〉の写真にフレル-Ⅱ」 》 右 勝田 徳朗 《 Metal egg ’18 》
絵画の支持体としての「モノと社会」-南相馬の海から- 高島 芳幸
絵画する。その最初に対峙しなければならないものに、対象物としての「支持体」がある。一般に絵画の支持体では絵を描くための均質で平滑な平面を想像するが、その支持体としての概念を、紙やキャンバスという物から可能な限り広げ、現代の社会のあらゆるもの(制度や歴史も含め)まで射程に入れて考えた場合、表現されたものは多種多様な形式・位相・次元などを持つものとなる。今回の展示は、それら支持体も含め、広い意味での「今」を、拡張された絵画―インスタレーションとして捉えるための試みである。
拡張された支持体の概念の中で生まれる絵画にとっても、重要かつ必要なことは、それぞれの支持体と作者との間に生まれる個人レベルの一回性の時間と空間・距離であり、それらがどのように作品として措定されているかで作品の強度やリアリティーは決まってくる。一般的に絵画では対象化された支持体の表面(画面)に作者の重心が置かれ、主に絵画の問題にされてきたが、拡張された絵画では社会・歴史・制度などを包含する支持体の内に、必然的に自身も含まれることになる。そこでは、支持体は作者から独立した対象物になりえず、作者は支持体の表面とその空間・距離の両方に軸足を置いたまま、その間を往還しながら絵画を成立させることになる。その時に、目の前の拡張された支持体と作者を繋ぐものものとして要請されるものの一つが、触覚的視覚ではないだろうか。つまり、日常性に対する日々の意識(一回性)と、描くという行為を通しての身体性である。
したがって、支持体が物ではなく社会など多様な座標軸(政治性・歴史性など)を持つと考えた場合、その空間と距離はより複層的なものになる。支持体に向き合う者は表現の内にそれらの座標軸を精査しながら、その価値判断を示していかなければならなくなることもあるだろう。そして、それは作者の内にだけ要求されるものでなく、自ずと見る者-鑑賞者も巻き込んだ「場」にも作用していくことになる。
今回の展示は、2021年7月に南相馬の海で採取した2種類の石(2011.3.11以後海岸整備のために運び込まれた石とそれ以外の海岸の石)を素材にした、場との関係を確認するインスタレーションと、『FUKUSHIMAの記憶展2021』に制作にまつわる詩篇・写真で構成されている。勝田作品の金属片と言葉など、二人が扱う支持体「モノと社会」は、時には物質そのものであったり、イメージやコトバであったりする。そして、それらが展示されたギャラリー空間も、現代の多種多様な価値観が交差、往来する「物・場―日常」でもある。この空間そのものが、作品と個人の生が直接・間接的に拮抗しながら、生き生きとした関係を作っていくニュートラルな「絵画/絵画場」になっていたとしたら幸いである。(たかしま よしゆき)
「絵画の支持体としての段ボール -社会と身体-」(2021年) 改・補筆 (2023年)
高島 芳幸 《 日記「2021年7月3日~2021年10月4日」 》
日 記 高島 芳幸
2021年7月3日(土) 「FUKUSHIMAの記憶2021」展の作品のため、南相馬の海岸を訪れる。海を見る。海岸の石二種(2011.3.11以前にそこに在った石と2011.3.11以後海岸整備のために持ち込まれた石)を採取。展覧会場の福島文化センターの空間を確認する。
生まれた時の記憶が先端をくすぐっている
まるでナイフのように 戻らない
波打ち際の青が濡れたまま 貝をくるむように降りてくる
貝は記憶を亡くすように砂に埋もれていく
鳥は鳴かない
波が水平線近くからゆっくり胸底からうねり 揺れ続ける
3800日余りの空の流れに 手の影は日々搔き消され続けてきた
波の音が緩んだ光の中を 井戸に落ちるように遠ざかる
静・寂を繰り返し おぼろげに立ち上がる影の音
草の葉のわずかな湿り気を帯びた瓶の内側から
あの時の空のぬくもりが 虚空にふら・ふらと大気圏を抜けて 漂う
躊躇いながら周回軌道を廻る芥と共に46億年―声は絶え間なく地上に届いていたはずなのに
肩の皮膚に浸潤していく誕生からの風は 内音のリズムと旋律を徐々に凍らせ かざした爪先の細胞から耳の奥に待つ深海までを 波と光に変えて宙に還えそうとしているのだろうか
それとも 核の内に向かって崩れていこうとする恒星の墓標にと 再び地表を転がりながら吹き溜まり 大地に戻そうとしているのだろうか
止まれ
今も青空の青の底から 目に見えない 命を深く遠くまで傷つける透明な災いが降っているのです
今 遠く耳の裏側から 陽子と共に虫の音が外耳の薄い骨を突き抜けていった
ツグミはツグミのまま何も示さない ―今の私が辛うじて私であり続ける崖の淵を踏み外し その一歩を喉の奥に黙って仕舞い込むのを ただ見ているだけなのです
あれは戯れの想像と幻想 希望の果実の後に見た 夢なのでしょうか
今日も回収されぬまま投げ出された生は 打ち上げられたクジラと共に どこにたどり着くというのでしょう
この海の底に深く沈んだシカクイ船もまた きっともう一つの宇宙なのだが まだ光は射してこない
アオダイが 水の柔らかい粒子を纏い 目の前を横切っていく
深い底へといざなう深海魚のクツワの反射を 耳の底で思い描く日々
朝陽と共に新しい天使が船首の陰から生まれようとしているのを気づかないまま 試験管の中でただ眠る日々
甲板の破れの中に足を落とし 抜けないまま一日が過ぎていく
足元に寄せる波音と 指の間よりこぼれる落ちる砂の乾いたザラツキ あの時の水平線に圧縮される空と海 その向こうから絶え間なく届けられてくる拒否は今も膨張を続ける 46億年の膨大な質量とうすむらさきに煙る波動のわずかな遅れが 苔むした石の陰に隠れ 小さな背骨の窪みを見せて怯えている 砂に埋もれた呻きと嗚咽は 波の懐にくるまり いつしか石肌の冷たさを 重さに変えていく
いま 生まれた時の記憶が先端をくすぐっている
埋められた時の記憶が芽吹いている
2021年8月23日(月) 瀬戸理恵子展(トキ・アートスペース)のテキスト(出原均)を読む
濡れたゆめの中で目覚める
谷沢の水が音をたて 流れ続けている
むらさきの不在の身体の発現は 音や光からの仮象ではない
段ボールに閉じ込められ朝の路上に出された私の身体は 重なるもう一つの落下物を待ち続け 積み重なることを夢みる 他者と先端との隙間に一枚の紙を挟む その厚さと距離に 声と記憶を雨上がりの夜明けに召喚するのだ
食卓では 白い陶器の皿に弾ませて音の尻尾が響く 今日の始まりが揺れてはすぐに消えていく 日々の歴史は互いの共犯関係の中で生まれてくる信頼なのだ 透けて見える空の隅に微かに動き しずかに刻印されていくのを ツグミは知らない その場所からイチイの木は生え 枝葉を伸ばして森になることを ツグミは想像できない 歴史の大きな口からは絶えず泡粒が滴り落ちている
濡れた路上で独り 空からの落下物を待つ日々
宙にかざした赤い掌の中に 時おり声は聞こえてくるが 次第に透明な輪郭となって消えていく
またひとつ鍵が掛けられていく
2021年10月4日(月)「高島芳幸 山岸俊之 Artistic chemical reaction」展(SPC GALLERY/東京)開催。
そこはパライソ*1かもしれない
胡桃を割る日
多孔質な自己が凹凸の表面を足早に過ぎていく
緑のコローの森陰を沼まで歩くが すぐに浅黄色の饐えた街へと 引き返したくなる 浜辺では空からの落とし物に翻弄される日々が 波の触手と共に砂に滲み込んでいった
時折 崖を抉る波にのって風は声になり 加速したまま記憶の裏地の砂漠に頭から突っ込んでいく まるで自爆だ 声は逆立ちのまま肌理の細かい砂をかぶって埋もれ 日時計の乾いた柱となっていく ときにツグミを止まらせはするが 時を示し続ける声は 溜息のように忘れられていく 逆立ちのままの柱の影だけが辛うじて砂丘の上を伸びていく
静かだ 耳を澄ましても 青い透明な深度に達した風は 水と空宙の匂いの渦を巻き 内耳へ内耳へと深く潜行し始める 静かだ
耳からこぼれた空虚な風がひとつ 角を落とし水晶体を抜けていく 陽に照らされた声の影は今でも 天使を待っているのだろうか
宙はあの時も規則正しい正円となって浮いていたが ここでは青だけが瞳を射して還ってくる 幾度も幾度も 忘れたように少し遅れて 足元の波打ち際に還ってくる 砂丘に影が立っている アオダイが目の前を過ぎていく
(・・・どこにいるのだ―)
いつもそうなのだ ナイフの刃先あたりか 暗いダンプの荷台の縁から見える風景が スキップしていく
ドボンドボーンと 右の耳骨の骨膜が震える 聴こえてくるのは 惑星の自転の軋む音とトランペットの音だけ あなたの声を解き放つために吹かれた旋律が 風にのって朝焼けの雲間から 滲んだまま届いてくる
( そこはパライソかもしれない )
2021年9月7日(火)「FUKUSFIMAの記憶2021」展 制作・展示する/南相馬の海岸で採取した2種*2 の石を一枚の矩形の紙を挟み 積む 計22個。孤帆34号を再読する。
いたるところで空中分解と空中爆発を繰り返している ただ伸びた影は示されることもなく ただ声を砂の中から拾いつづけている
〇
『―男が吐き出そうとしても吐き出せないもの』
『―指で転がすと青い影も一緒について走る。白い火が燃えているような影が、私の書いた小さな文字を読んでいる』*3
〇
≪こはれたものをこはし鳥曇≫
『―「歴史の天使」の着想に使われたと思われるパウル・クレー(1879-1940)の絵≪新しい天使≫―ベンヤミンはフランスからスペインへの亡命中に国境の町で力尽き、モルヒネ25錠を嚥んで自殺したが、携行したトランクにはその絵が入っていたという』*4
〇
15781 (2011.9.11)
4086 (2011.9.11)
―― ( ――― )
82945 (2011.9.11) *5
はしとはしとがかみをあいだにふれあうきんこうのうらがわににどさくきんもくせいのかおりよとどけ
*1 ポルトガル語で天国・楽園の意/山岸俊之作品より *2 2種…2011.3.11以前からあった石と その後海岸整備のために持ち込まれた石 *3 孤帆Vol.34「2011年春―青いビー玉」菅原優子より *4 孤帆Vol.34「原発スクラップ」(高橋博夫)より *5 孤帆Vol.34「日記 2011.3.11~2011.9.11」(部分)高島芳幸より 東日本大震災の被災資料 上から死者数、行方不明者数、関連死者数、避難民数 ( )内、資料発表日
〈参考〉
15900(2023.3)
2523(2023.3)
3792(2023.3)
31438(2023.3)