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個展や展覧会の様子をブログでご紹介しております
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2005年09月27日(Tue)〜10月08日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday
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大塩 博美 展
大塩 博美 展
2005年09月13日(Tue)〜09月24日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday -
リトグラフ 展
リトグラフ 展
2005年08月30日(Tue)〜09月10日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on SundaySPC & TSUKUHAE PRESENTS
一般にリトグラフといっても石版とは限らない。ジンク版、アルミ版、PS版によるものがあって、
判別のつかないものもある。また、プリント形式の異なるオフセット校正機によるものも
リトグラフと称している。ツクハエは、リトグラフ本来の石版画を研究、制作する目的で開設した。今回の企画は、主宰者 (玉征夫) の初期作品と資料を参考展示し、同時に工房で制作の一部を体験
していただこうと意図した。ぜひご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます。リトグラフラボ・ツクハエ 玉征夫
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松岡 博子 展
松岡 博子 展
2005年07月12日(Tue)〜07月23日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday「素描」ー描くことは再び愛することー
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三輪 暁 展
三輪 暁 展
2005年06月28日(Tue)〜07月09日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday -
浜田 澄子 展
浜田 澄子 展
2005年06月14日(Tue)〜06月25日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday -
伊藤 琴恵 展
伊藤 琴恵 展
2005年05月31日(Tue)〜06月11日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday -
下田 真里江 展
下田 真里江 展
2005年05月17日(Tue)〜05月28日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday──意色∞景識 … ing ,
獲物ノ具合、壊レル途中。およそ世界に現れる、一切の物/事は
全て時空の獲物ではないだろうか。
ワタクシハ景識ヲ視ル∞視ラレ(テイ)
ルトイウ意、色ノ(真)只中デイツマデモ
──具合ガ良クテモ悪クテモ──
ドコマデモ固、割レル途中ノ…ing.画面を作業スルコトとは、ある意味、キャッチ&リリースそのものである。
名づけようのない何かを獲え、眼に視えるように具体として現す。
現れたナニモノカは具合が悪かったり、良かったり。
その時々でさまざまである。
しかし、一度でも世界に現れた物/事=ナニモノカ。は
その瞬間からコワれはじめる。
コワれつづける。
変態し溶解し、時空のある限りイツモ途中のままに。
作家HP -
山本 伸樹 個展
山本 伸樹 個展
2005年03月15日(Tue) 〜03月26日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday路傍の瓦礫の中から黄金を拾い出すというよりも、
むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であることを
見破る者は詩人である。高村 光太郎 「芸術論集 緑色の太陽」
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竹内 博 個展
竹内 博 個展
2005年03月01日(Tue) 〜 03月12日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday「 生活者の風景 -竹内氏の制作- 」 山岸 信郎
今は昔、といってもせいぜい50年ほど前のことになろうか? あるフランスの美術雑誌で彫刻は音楽に似て時間芸術であるという説を読んだことがある。エッセイ程度のもので確固とした学術論文というほどのものではなかったはずだが、フランスの美術雑誌には応々にして大胆奇抜、人の意をつくような珍説が載っていることが多い。さてその論旨は次のようなものである。
通常、視覚に訴えることを第一義とする芸術(絵画、彫刻)は、聴覚に訴えるものとして時間の流れの中に形成される音楽とはジャンルを異にする。鑑賞は静的な、固定的な空間の中で成立するが、彫刻は絵画と異なって本来は三次元のものである。鑑賞は静的とはいえ、定位置に据えられた作品の周囲をグルグル回ることを自ずと強いられることになる。
つまり音楽は音の変化、継続によって時間を形成するが、彫刻の鑑賞にあたっても、人間は自ずから発動した時間の中に身を置くことになるというのである。
日本流でいうと「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」ということになろうか?以上、余談。本論の竹内博氏の制作に立ち返らなければなるまい。
竹内氏はまさに団塊の世代、今はすでに50歳を超えているはずである。最初、日本橋の小さな画廊で個展を開いたのが19歳であったから作家歴は30年を越す。往時、1970年の美術界は世界的に新しい美術の出現に多大な情熱を燃焼させていた。時代の上でも随所で変革が叫ばれ、若い世代のエネルギーは直接的な行動として各国に波及していた。まさに世界は政治の季節であったというべきか?
美術家も絵筆を捨て鑿を置いて、来たるべき新たな世界の更なる参加を求めてアトリエを後にする者が続出した。コンセプチュアルアート、ハプニング等々、旧来の美術のジャンルを破って様々な表現が試みられ現出した。竹内氏の美術家の出発もそんな状況の中にあって初めからインスタレーションとして行われた。今にして思えば、そのころ竹内氏はさらに大きな状況の変化を担わされていたと思う。
突然に襲った父君の急逝である。竹内氏はその頃、高校卒業を控えて美術系大学への進学を志し、美術研究所に通っていたと聞くが、祖母、母親、姉を抱えて、一家の負担は一挙に彼の双肩に担わされることになった。家業はオフセットによる美術印刷、彼の若年の頃からの美術家志望も、その生い立ちの環境によるところと思われるが、印刷業務、技術についてはほとんど知るところがなかったらしい。19歳の彼は、父親急逝の翌日から業界の組合に顔を出し、煩瑣な業務に携わらなければならなかった。作業所を併せ持つ営業所は中小の印刷業者が犇めく文京区小日向。まさに今なお東京の下町の名残を残す庶民の町である。進学の夢などもはや考える暇もなかったと思う。窮乏と多忙の中から美術に関わる辛うじての表現が、当時にわかに開けたインスタレーション、パフォーマンスの世界であった。それはアトリエも、画材も、創作に耐えなければならない長時間の制作作業も必要としない。日常生活、行動、思惑と必ずしも矛盾しない表現の世界であったと思う。
彼は絵筆を捨てたのだと思う。三十余年にわたる彼との付き合いの中で彼の描いた絵画というのは、展覧会のために描いたチラシの、原色の交錯するアクションペインティング風の作品一点のみ、私にはその記憶しかない。かくして三十有余年、彼のインスタレーションによる制作は、町の画廊に、美術館に、山地に、海浜に、そして国の内外を問わず繰り広げられた。一年の安らぐこともなく。寡黙に、衆目を意識することもなく。それが生活の資になるなどということは全く念頭になかったと思う。
さてこの小論の冒頭に、彫刻も時間芸術であるという多分に奇怪な一説を紹介した。
竹内氏のインスタレーションによる制作は、形式としてはいうまでもなく彫刻の反対極として展開されるものであるが、上掲の説と同様な仕組みの上に成り立つものと思われる。竹内氏の制作の素材として用いられるものは常に「其処にあって」「やがて消えていくもの」である。室内であれ、野外であれ、素材は「組み立てられる」こともなく、あるがままの状態に設置される。設置というよりは放置されるというべきか。たとえば、野外なら朽ちた落ち葉、室内なら靴底に付いたゴミ等々、時に街角では極めて存在の主張の稀薄なビニールテープ、あるいは透明な包装紙など。それらの物があるエリアに散乱しているか打ち捨てられているかである。
人はそのエリアに足を踏み入れ散策しなければ、それが「何であるか」、何故にそんな行為がなされたかを感じ取ることも、まして考えることもできない。感受も思惟も歩行とともに生起し刻々と変わっていく。それは日常の時間の流れそれ自体であるというべきであろう。意識されない無意識の時間を含めて。人は壮大な建造物や美術館に展示される古今の傑作に驚き、感激する。毎日報道される大事件に、劇中のヒーローやヒロインに時として悲嘆の涙を流す。それらのことは人の日常生活に必要欠くべからざるものとして私も賞賛する。文明であり文化である。
しかし、「在る」世界にもう一度目を凝らそう。
「在るべき世界」、理念、理想、叫ぶにはなんと美しく、清く、正しい世界であろうか。だが人は天国に常住する事はできない。人は永遠に存在の矛盾を克服することはできないだろう。
今、人類の大部分は、無辜の民として大いなる矛盾の中に生きている。生活の実態とは、そういうものではないか。
竹内氏の乖離する世界もまたそういうものであろう。表題を「生活者の風景」とした所以である。終わり。2005年 1月20日
山岸信郎さんは、かつて東京、神田にあった田村画廊、真木画廊、駒井画廊の画廊主で、評論家としても活躍されました。
特に1970年頃から90年代にかけての一時代に、現代美術のオピニオンリーダーとして多大な貢献がありました。
2008年11月4日、急性心不全のため惜しくも逝去。享年79歳。ここに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 -
Rotation of Axes 1 – intoroduction –
Rotation of Axes 1 – intoroduction –
2005年02月01日(Tue) 〜02月19日(Sat) PM12:30~ PM07:30 (最終日PM05:30) Closed on Sunday -
後 啓子 個展
後 啓子 個展
2004年12月7日(Tus)~12月18日(Sat)人間は世界を抽象化する能力を持っているが、
結果はいつも断片であり、
抽象化し思惟し反復する事によって哲学となって
美術とともに豊穣な表面となって浮かび上がって来る。
・・・この感受性を鈍くしなければ生きていけない時代に、
視ることの透明さを共有したい、あなたと・・・後啓子
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島村 宗充 個展
島村 宗充 個展
2004年11月23日(Tus)~12月4日(Sat)*23日(火)18:00頃よりオープニングパーティ
*26日(土)19:00~ライブイベント(入場無料)
「朗読とセロの独奏によるオデッセイ」
朗読ー島村宗充 セロー入間川正美大学ではグラフィック・デザインを専攻した彼は、
必要に応じた構築性と効率性をも兼ね備えている。
しかし彼の表現にとって必要な根拠と、
遥かに見る着地点はそこにはなかったようだ。
その後、彼が活動の場としてきた「現代美術」
「コンテンポラリー・アート」も今またしかりである。
一見素っ気ない表情の素材、
技法をみせつつそこから、
踏まえるべき根と辿り着く先を、
作品とその活動のフィールドとで、
大胆かつ細心に探ろうとする島村君の表現活動は
これからどこへ向かい、
なにを私たちに示していくのだろう。伊東直昭
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勝田 徳朗 個展
勝田 徳朗 個展
2004年11月9日(Tue)~11月20日(Sat)私の主な作品素材は20年以上前から流木である。
誰もが感じるだろう流木の持つ有機的な造形性と
「生滅」のイメージを基本に、
様々なアプローチを試みつつ
表現として立ち上がる様態を視覚的に展開させてきた。
・・・見慣れた形態から無数の記憶や想像が生成し、
新たなイメージ空間が構築されて機能を開始した時、
タマゴは命を与えられて孵化するだろう。勝田徳朗
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佐々木 薫 個展
佐々木 薫 個展
2004年10月12日(Tue)~10月23日(Sat)佐々木 薫は、私たちに、
果てしないほど開かれた空間や、
成長し瞑想する花々を示す。
それらは影によって、
謙虚さと繊細さを伴って増やされていく。
それは決して人工的な“拓殖”ではなく、
その意図が純粋で空間が広い時、
それ自体で拡大する自然の営みの表れである。
その日その日の千もの小さな幸福の集まりに対する祈りと感謝・・・ポルスカ(美術家)
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デスク at SPC
デスク at SPC
2004年9月28日(Tue)~10月9日(Sat)
私たちビッグソルト企画は
社会生活の象徴である会社に焦点をあて、
芸術表現を提示する。
デスクはそれぞれに与えられた場、
共通のサイズ、共通の環境、
制限された空間である。
しかし、人は制限された場においても
自然と自己を表現している。
当企画はその「個」を全面に出し、
超積極的自己表現として
会社芸術「デスク」を発表する。 -
衣川 哲夫 個展
衣川 哲夫 個展
開催日程2004年9月14日(Tue)~9月24日(Fri)今までの彼の多くの仕事は、
あるプランとそれへの行為と、
その崩壊過程から現れ立ち昇る物質と行為の暴力性。
つくれない (つくらない)、
完成はないという反復性からくる、
波動の時間性を想像させる。
このことは現在においても大変貴重なことである。藤井 博 (美術家)
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DRAWINGS 2004
DRAWINGS 2004
開催日程2004年08月31日(Tue)〜09月11日(Sat)絵画は、そもそも日本の建築物の中に、
ひいては日本人の生活にとって必要なものなのか?
不要であるとすれば何故描き続けるのか?
今、改めてその在する処を問い直す。 -
玉 征夫 個展
玉 征夫 個展
2004年08月10日(Tue)〜08月28日(Sat)– 鳥 の 歌 –
デ ジ ャ ヴ ュ と 思 っ た の は、
カ タ ロ ニ ア の廃 墟 か。
忘 却 の 空 か ら 鳥 の 歌 が 聞 こ え る。 -
宮崎 まさみ 展
宮崎 まさみ 展
2004年07月06日(Tue)〜07月17日(Sat)流木・空缶・ガラスなど、身近にある素材に手を加え、
インテリアグッズやオブジェに仕上げました。
幻想的な華やかさの中にも素朴なあたたかさが感じられる、
そんな作品の数々をお楽しみ下さい。
また、絵本や詩集なども展示販売致します。 -
下田 真里江 展
下田 真里江 展
2004年06月22日(Tue)〜07月03日(Sat)画面は、いつも作業をしている最中にどんどん変態して行く。
その瞬間ごとに、手と眼と意識の何もかもが動き──
「まだ、視た事のないモノを、ない画面を」
と追いかけ、引っ張られているうちに、気づいたら変な
場所に来てしまった──それが、わたくしの求めている
物/事なのだと思う。
作家HP☆下田 真里江
☆1955年 東京都生まれ☆個展 ─────────────────────────────────────
1981 BLUE ZONE (2月・10月)/吉祥寺
1983 ギャラリー612/新宿
1985 ギャラリー夢/銀座
アートスペース・コア/永福町
1987 アートスペース・コア
1989 ギャラリー・ケルビーム/銀座
1990 ギャラリー中島/銀座
1991 ギャラリー・ケルビーム
1997 ウイリアムモリス/渋谷
ギャラリー宏地/神田
1998 ギャラリー宏地
2000 ギャラリー中島
2004 SPCギャラリー
2005 SPCギャラリー☆グループ展 ──────────────────────────────────
1982 三人展/エスパース213/浜田山
1984~92 U 展/埼玉会館 埼玉近代美術館
1988.90~98 作家たち展/ギャラリー中島
1989~91 ケルビーム展 &セラフィーム展/ギャラリー・ケルビーム
1989.91 気。象展/ギャラリー中島 & ギャラリー・ケルビーム
1991 デッサン展 & US展/千駄木画廊
1992 沙裸羅木展/スペース21
1995 気。象展/パルテノン多摩
1996 幻象美術展/三鷹市美術ギャラリー
えとえほん展/東京芸術劇場展示室
1997 現代美術の断層ー渾天ー/プルミエ・ギャラリー
1998 二人展/ギャラリー宏地
2003 アニヴァーサリーポルトデザール/ポルトデザール(京橋)
ピエゾグラフ展/ポルトデザール
2004 ピエゾグラフ展/石井画廊(栃木県足利市)
ピエゾグラフ展/ポルトデザール
2005 林九真理追悼展/画廊響き(銀座)