宮崎 まさみ 展
7.6(Tue) – 7.17(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
流木・空缶・ガラスなど、身近にある素材に手を加え、
インテリアグッズやオブジェに仕上げました。
幻想的な華やかさの中にも素朴なあたたかさが感じられる、
そんな作品の数々をお楽しみ下さい。
また、絵本や詩集なども展示販売致します。
7.6(Tue) – 7.17(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
流木・空缶・ガラスなど、身近にある素材に手を加え、
インテリアグッズやオブジェに仕上げました。
幻想的な華やかさの中にも素朴なあたたかさが感じられる、
そんな作品の数々をお楽しみ下さい。
また、絵本や詩集なども展示販売致します。
6.22(Tue) – 7.3(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
画面は、いつも作業をしている最中にどんどん変態して行く。
その瞬間ごとに、手と眼と意識の何もかもが動き──
「まだ、視た事のないモノを、ない画面を」
と追いかけ、引っ張られているうちに、気づいたら変な
場所に来てしまった──それが、わたくしの求めている
物/事なのだと思う。
作家HP
☆下田 真里江
☆1955年 東京都生まれ
☆個展 ─────────────────────────────────────
1981 BLUE ZONE (2月・10月)/吉祥寺
1983 ギャラリー612/新宿
1985 ギャラリー夢/銀座
アートスペース・コア/永福町
1987 アートスペース・コア
1989 ギャラリー・ケルビーム/銀座
1990 ギャラリー中島/銀座
1991 ギャラリー・ケルビーム
1997 ウイリアムモリス/渋谷
ギャラリー宏地/神田
1998 ギャラリー宏地
2000 ギャラリー中島
2004 SPCギャラリー
2005 SPCギャラリー
☆グループ展 ──────────────────────────────────
1982 三人展/エスパース213/浜田山
1984~92 U 展/埼玉会館 埼玉近代美術館
1988.90~98 作家たち展/ギャラリー中島
1989~91 ケルビーム展 &セラフィーム展/ギャラリー・ケルビーム
1989.91 気。象展/ギャラリー中島 & ギャラリー・ケルビーム
1991 デッサン展 & US展/千駄木画廊
1992 沙裸羅木展/スペース21
1995 気。象展/パルテノン多摩
1996 幻象美術展/三鷹市美術ギャラリー
えとえほん展/東京芸術劇場展示室
1997 現代美術の断層ー渾天ー/プルミエ・ギャラリー
1998 二人展/ギャラリー宏地
2003 アニヴァーサリーポルトデザール/ポルトデザール(京橋)
ピエゾグラフ展/ポルトデザール
2004 ピエゾグラフ展/石井画廊(栃木県足利市)
ピエゾグラフ展/ポルトデザール
2005 林九真理追悼展/画廊響き(銀座)
6.8(Tue) – 6.19(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
皆そんなにデジタルしてどこ行くの ?
便利、便利って本当に便利なのかな ?
もう少しアナログしてもいいんじゃない ?
と、アナログ人間な私は思う。
5.25(Tue) – 6.5(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
少し奥まったところから、世界を見ている。
何かが来たら、隠れればいいから、
ここは安心だけど、そろそろからだごと
光の中へ踏み出すのも、良いかもしれないね。
5.11(Tue) – 5.22(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
頭髪がついているミイラを見たことがある
水気のない顔は物体になりつつあるが
髪だけは妙に生々しく感じられた。
染まった髪は現在の日本の流行、
無表情な若い人たち...
かつて戦争捕虜として剃髪され、
表情を失った群像のように...
平和な国と呼ばれるようになった日本も
幸せな国ではないのかもしれない。
3.2(Tue) – 3.13(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
ずーっとここにいたいって思えるような場所
昔に戻れる場所
はだしで足を投げ出して作品の前に
すわれることができるといいな
こころがゆるむ あたまがゆるむ からだがはずむ
一息つける自分だけの世界
ねっころがりたい
やさしい
けっこう何でもあり
緊張しない場所
スローアート展“わ”とは…
兜町に代表されるような『Fast』な時代に
イタリア郊外で始まったSlow Foodが示す、『Slow』への扉を
新しくも懐かしい作品で、すべての人へお届けしたいと企画した展覧会。
スローアート展は、全ての人の表現を発表する“場”である。
彼らの作品から、ある人はOn-Offの切り替えスイッチの様な
Slow Lifeへの扉をみつけるかも知れない。
また、ある人は新しい価値観への気づきを体験することになるかも知れない。
「わ」5つのキーワード
倭 アナログ世界の最大であり、エコロジカルでリサイクル都市である江戸。
我 意識的な「我」の表現=作品と無意識的な「我」の表現=鑑賞者。
和 心の平穏であり、柔軟性。
輪 社会を作る人の繋がり。
環 人と人が繋がっていくこと。
《アクセスプログラムについて》
ギャラリーまでの道のり及びギャラリー内はバリアフリーではありません。
今回は、アクセスプログラムをご用意しておりますので、
ご不安を感じられる方は下記までご一報ください。
artcare@silver.livedoor.com(担当/田島)
2.17(Tue) – 2.28(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM photo: 加藤 栄吾
1.20(Tue) – 2.7(Sat) 2004
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
表面のざらつきのなかで 稲 憲一郎
90年代の半ばから、それまでの壁から突き出るような、あるいは壁にそうように曲面と、時には切り落とされたような面を持つ立体的な形態を支持体として、その上に線や色彩を用いて描くという作品と平行して、キャンバスや紙と言った平面の上に描く作品を作ってきた。
立体的な作品を作ってきたときもそうだったが作る契機というのは、特別に名指しできるようなものを対象化しているわけではないが、世界-現実をどの様に感じとらえているのか、どの様に認識しているのかということが、一つのきっかけになっているといっても良いだろう。しかし作品は、その事柄がそのまま翻訳するように移し替えられる訳ではない。
それらは支持体と表層、線とかたち、色彩とかたち、あるいはかたちとかたちの間といったものの関係のなかで解体され、表面のざらつきのなかで新たな意味を生成し、新たな世界を現前させてくれる。そして契機となった現実-世界は明示的なものとして表象されることはなく、背後へとおしやられる。それにもかかわらず、立体的な形態を持つ作品では壁という現実を背景に、一定の空間を占有し、かたちと空間あるいは時間の否応もない体験の知覚によって現実へと遡行していく。
作品が観る者にとって常に「何か」についての表現であり、作品の背後にそれを求めるものであるならば、「何を」描くかということが、どの様に描くかということに先行しながらも、どの様に描くかという絵画の実践のなかで形成される世界について、もう一度思い至らなければならないかもしれない。
キャンバスや紙の上に「何を」描くのか。先行する「何を」に、私は自身の作品を選択した。私自身の作品を対象化したのは、一つには作品を、壁という現実の背景、空間の占有、かたちと空間の関係性、そして時間といった現実の回路から、もう一度解き放ってみたかったからかもしれない。それは、生への欲望とは裏腹な欠落感から異なる位相から観ることを欲しているのかもしれない。
私自身の作品を再現的に描写することによって作品は壁から遊離し、そこでは何が描かれているのか、どの様なものであるのかは見えても、それが何であるのかは不明のものとして浮遊し、絵画という表面のざらつきのなかで現れている。
1947 東京都練馬区に生まれる
1972 東京造形大学美術科卒業
【個展】
1972 74,75,76,77,78 サトウ画廊(東京)
1979 83,84,87 ときわ画廊(東京)
1981 82,83,85,87 コバヤシ画廊(東京)
1981 86,87,89,92,95,97,98 ギャラリー檜(東京)
1987 ギャラリー・るなん東京)
1988 Sherry Art Space(東京)
1989 アートフォーラム谷中(東京)
1990 「さまざまな眼ー25」 かわさきIBM市民文化ギャラリー(川崎)
1991 ギャラリー現 (東京)
1992 西瓜糖 (東京)
1994 「根底への問い」1970年代の美術 村松画廊 (東京)
1997 版画集〈Oval 1977〉 ギャラリー檜 (東京)
1999 岩川邸 (東京・八王子)
2002 ギャラリー檜 (東京)
2004 SPCギャラリー (東京)
【グループ展】
1968 三人展 村松画廊/東京
1969 Qのために用意された椅子 村松画廊/東京
1969~70 精神生理学研究所 毎月一回郵送による
1970 ニルヴァーナ展 京都市美術館 /京都
Summer Exhibition Art & Project /アムステルダム
December 1970 Art & Project /アムステルダム
1971 Summer in TAKAO 東京造形大学/八王子
観念の外延展 ギャラリー16/京都
言葉とイメージ 展 ピナール画廊/東京
1973 実務と実施十二人展 ピナール画廊/東京
京都ビエンナーレ 京都市美術館/京都
1974 展それぞれ 田村画廊/東京
1975 AFFAIR & PRACTICE 現代文化センター/東京
1979 第六感 展 神奈川県民ホールギャラリー/横浜
1983 方法序説 彩鳳堂画廊/東京
1984,85,86 方法序説 日辰画廊/東京
1985 背後の、解読 山梨県立近代美術館/甲府
1986 万象の変様 埼玉県立近代美術館/浦和
1987 風の姿 ときわ画廊/東京
5月の湘南 藤沢市民ギャラリー/藤沢
降り立った絵画 東京都美術館/東京
1988 響層ー湘南 藤沢市民ギャラリー/藤沢
彩発 ギャラリー檜/東京
欲望の海をわたる絵画 川崎市民ギャラリー/川崎
揺相 欲望の海をわたる絵画 ギャラリー現/東京
溶蝕 欲望の海をわたる絵画 神奈川県民ホールギャラリー/横浜
1989 君よ、時の旋律をたぐれ ギャラリー・サージ/東京
豪奢と静寂と悦楽 代々木アートギャラリー/東京
1991 表層のエロス ギャラリー・サージ/東京
1992,96,99, 眼の座標 代々木アートギャラリー/東京
01,02 distance ふるえる誘惑 ギャラリー檜/東京
線の表現―眼と手のゆくえ 埼玉県立近代美術館/浦和
1992 マグニチュード 展 長岡市美術センター/長岡
1993 再制作と引用 板橋区立美術館/東京
1995,96 水彩の網 展 ギャラリー手/東京
1996 反復する原点 村松画廊/東京
1997,98,99 汎展 ギャラリーほさか・他/甲府
1999 版による?・? ギャラリー檜/東京
さまざまな眼―仮面グライダー かわさきIBM市民文化ギャラリー/川崎
1998 NEW VISION SAITAMA 埼玉県立近代美術館/浦和
1999 distance no.19 ギャラリー檜/東京
2000 distance no.20 ギャラリー檜/東京
2000~01 半島・1 MIURA ART PROJECT/ゲームと手段 三浦半島/三浦
2003 眼の座標 代々木アートギャラリー/東京
DROWIMGS 2003 -aridokoro- SPCギャラリー/東京
11.25(Tue) – 12.13(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
闘争本能コード=我々は何故虐げるのか 米谷 栄一
私は人間の表現を続けている。着彩レリーフから浮き彫り絵画、半立体から開閉する作品へ。そして現在は大型の人体を吊り上げている。私の中でそれらは「立体作品」ではなく「力対作品」なのだ。エネルギーの塊だ。喜び、怒り、哀しみ等ありとあらゆる姿を躍動する「力対」で表現したい。
私は人体の表面に縄文紋様をほどこしている。日本人が世界に誇れる縄文式土器の紋様は、縄文(コードマーク)=螺旋=遺伝子情報と連想され、人間の本能、本性を象徴している。我々に内在する根源的な問題を見つめ、表現するために全身にびっしり刻印するのだ。
今回のテーマは「闘争本能コード=我々は何故虐げるのか」である。
一方が怒りあるいは狂喜しながら鞭を振りかざしている。
もう一方は体を捻らせて苦悶している。打たれる方は束縛され逃げられない。その逃げられない相手に対して、容赦なく据えようとしている。我々のどこにこれほどまで相手を虐げようとする衝動が存在するのか。
親が子供に、上の者が下の者に、富める者が貧しい者に。あるいは他の部族に、他の民族に…
また、その時代を象徴するもので我々は虐げてきた。武力で、宗教で、金で、今度はなんだ情報か? こんなことを永遠に我々は繰り返して行くのか。我々の一体何がそうさせるのだろう。
1956 宮城県仙台市出身。現在、横浜市在住
1978 宮城高専機械科卒。在学中、宮城輝夫に学ぶ
卒業論文は「立体図の色彩的表現」
1979 美学校 最終美術思考工房(松沢宥に師事)
1980 同校 インド哲学講座(松山俊太郎に師事)助手
1981 同校 絵画教場(菊畑茂久馬に師事)
【個展】
1985 「米谷浮き彫り絵画展」 岡崎球子画廊
1987.89.91 同 展 なるせ村田画廊
1988.90 「舞い昇るもの」シリーズ 岡崎球子画廊
1987.89 同 展 なるせ村田画廊
1993.95.97 「米谷栄一展」 東京日仏ギャラリー
1993 「マイヤ・イコン」シリーズ 岡崎球子画廊
1999.02 「米谷栄一展」 東京電力プラスマイナスギャラリー
2003 「米谷栄一展」 Para GLOBLE
「米谷栄一個展」 SPC ギャラリー
【グループ展アートイベント】
岡崎球子画廊、画廊春秋、他多数
1986 第22回今日の作家展 横浜市民ギャラリー 大型人体作品「わが名は日本」出品
1987 「みちのくの造形」展 宮城県美術館 大型人体作品「わが名は日本」出品
1992 牛窓国際芸術祭 大型の開閉する作品「マイヤ・イコン」出品
1998 弁天海港佐久島アート and フィシヤーマンリレーション 大型人体作品「邂逅」出品
1999 弁天サロン「3人展」大型の人体作品「瞬間で変化する運命」出品
11.11(Tue) – 11.22(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
「据わらざる橋」の下 松永 康(アートコーディネーター)
2001年の初夏、宮城県塩釜市で行われた「人と塩と美術」展を見た。この催しは寒風沢(さぶさわ)島をメイン会場とした日本とフランスの美術家による合同展であり、その中心となって運営を行っていたのが伊東直昭であった。そもそもこの催しは、フランス・ブルターニュ地方の塩田地帯で行われた展覧会に伊東が参加したことがきっかけで実現したものである。
イベントを見終わったあと、私はしばし伊東と雑談する機会を得た。伊東はこの催しが実現に至るまで、そこに関わる人々の調整のためにいかに時間を要したかを語った。華やかな催しの陰で、異なる人間どうしをつなげるための地道な橋渡しが続けられていたのだ。それを聞きながら、これまでの伊東の作品と伊東のこうした活動の間にどこか切り離しがたい接点があるように思えてきた。伊東直昭は1980 年代の初めから作品の発表を行ってきた。当初、絵画的な作品を制作していたが、そこには有孔アルミ板や鏡面板といった従来の絵画にはなじみにくい素材が用いられていた。そのため作品は絵画的なイメージとして目に映りながら、同時にナマの素材として見えてくる。ある意味でこれは、作品の中に混在する「イメージ」と「物質感」を意識的に切り離し、さらにそこに橋渡しをする試みであったと言うことができる。
1998年、伊東は前出のブルターニュで初めての本格的な野外展示を行った。屋外の一角に朽ちた遊具を見つけ、海岸で拾った漂流物などをそこに固定していった。近隣に住む人々にとってその遊具はすでに風景の一部となっていたが、そこに別な造形が施されたことで、彼らの中にかつてそこで遊んだことの記憶が呼び覚まされた。朽ちた遊具と人々の記憶は永く切り離されていたが、そこに新たな橋が渡されたのである。
2003 年の個展は「据わらざる橋」と題された。「人」の字に型取った鰯が壁や床に並べられ、会場の奥手には三日月状の橋げたを支える2つの人型が立てられた。その全貌はどこか遊園地のようである。観客は会場を自由に移動して、空間の変化を体験しながら作品と一体化していく。作品と観客という対立が一時的にだがそこで結びつくのだ。宙に浮いた不安定な橋がそのつながりを象徴しているようにも見えた。
人はものごとを識別することで知を発達させてきた。しかし一方で、それは人種、民族といった多くの分断を引き起した。そして今、分断されたさまざまな境界を越えるための新たな知が模索されるようになった。
作品の内部における異質性に橋を渡すことから始まった伊東の活動は、作品を通して質を異にする人間どうしを結びつける活動へと展開しているように思える。ただし芸術家にできるのは、そこに橋を架けることまでである。最終的にその橋を生かすのは、境界を越えようとして渡り続ける人々の意志に他ならない。
1959 神奈川県横浜市に生れる 藤沢市在住
1983 多摩美術大学、絵画科・油絵専攻卒業
1985 同大学院(美術研究科)修了
[個展]
1986 ・88・90・92・97 ルナミ画廊 (銀座)
1987 ギャラリーQ (銀座/東京)
1988 ギャラリーパレルゴン2 (神田/東京)
88・90・94・2000 不二画廊 (堺筋本町/大阪)
1989 ギャラリーなつか (銀座)
1991 ・94 ギャラリーK (銀座)
91・93・94 ギャラリーサージ (神田)
1996 ガレリア・グラフィカbis (銀座)
2000 銀座小野画廊2 A/B室(銀座)
2003 トキ・アートスペース (神宮前/東京)
SPCギャラリー (兜町/東京)
[アーティスト・イン・レジデンス 企画・参加]
1986 大谷地下美術展’86,’87
1987 栃木県・大谷資料館地下採堀場跡
1991 日本/ベルギー現代美術交流展
旧金竜小学校校舎(西浅草/東京)
サンカント・ネール公園(ブリュッセル/ベルギー)
1995 日仏現代美術交流(パリ・フランス/京都)
パリ・バスティーユ地区のアトリエ公開展
1996 同京都展 木屋町・元立誠小学校校舎
1998 「塩の芸術…芸術の変容」展
(フランス、ブルターニュ・ゲランドの塩田地帯、ペン・ブロン・海洋リハビリセンター)
2000 ”LE TRAIT FRAGILE”塩田地帯でのワークショップ(ゲランド/フランス)
2001 塩竈−ブルターニュ芸術交流プロジェクト
「人と塩と美術と」(宮城県塩竈市浦戸諸島)
[グループ展企画・参加]
1982 〜83 合同展示「病気がアートなおします」他 (自由が丘、横浜)
1985 合同展示 「百の目の中空」 横浜市民ギャラリー(関内/横浜)
1989 PLATEAU−錯綜の切断面ー 宮城県民ギャラリー(仙台)
「アレゴリーとしての発条(ばね)」 ギャラリーサージ゙(神田)
1997 「ラ・コメット/彗星が私たちの道を示している」(日仏作家のコラボレーション報告展)
ルナミ画廊B室
2001 塩竈-ブルターニュ 芸術交流プロジェクト・記録報告展 トキ・アート・スペース(神宮前)
[グループ展参加(評論家・キュレーター・美術館・画廊等の企画を含む)]
1987 ROUND・1987 ギャラリーなつか (銀座)
ルナミ・セレクション87 ルナミ画廊
Person to person ギャラリーQ
破水の徴候 20人の美術 ギャラリーパレルゴンII
1988 INTERNATIONAL EXHIBITION OF MINIATURE ART(デル・ベロ・ギャラリー トロント,カナダ)
第24回今日の作家「多極の動態」展 横浜市民ギャラリー (横浜)
1989 リトル・プレゼンス 御茶ノ水画廊(御茶ノ水・東京)
第2回アクリラート展 品川区立O美術館(大崎・東京)
1990 ミュージアム・シティ・テンジン イムズ(福岡)
1992 神奈川アート・アニュアル’92 神奈川県民ホール・ギャラリー(横浜)
1995 レゾナンス ギャラリー楽 (京都)
1999 起源イブ・第2夜/第3夜 ギャラリー・サージ
アーティストの周縁 トキ・アート・スペース
2002 ・03「湘南の風」展 アートスペース・キテーネ (辻堂/神奈川県藤沢市)
[作品収蔵]
1996 秋田県雄勝町総合文化会館・展望閲覧室(立体造型6点)
[講演]
1998 美術館市民講座 茅ヶ崎市美術館(茅ヶ崎・神奈川県)
[コンクール]
1981 第25回シェル美術賞展 入選(東京・名古屋・京都・福岡)
1982 ・83神奈川県美術展 入選 神奈川県民ホール・ギャラリー
1986 日本オブジェ展 入選 パルコ(渋谷/東京)
10.28(Tue) – 11.8(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
「絵画」降臨 高橋 博夫
またしても「絵画とは何か」「美術とは何か」という問いが頭をもたげてくる。それは幼子が親に対して繰り返す「なんでなの?」という問いのように際限の無い、また容易には答えの見つからない類のものであろう。
今春、「コレクションからの展開 絵画と彫刻の間─インスタレーション・高島芳幸」(うらわ美術館)という展示があった。地域ゆかりの作家櫻井英嘉(平面。故人)と津久井利彰(立体)の作品をギャラリーの両翼スペース(各31m2)に配し、中央の大きなスペース(220m2)に高島の作品を展示するという企画であったが、そのギャラリー中央に足を踏み入れた折に件の問いに捕らわれながらも、それに対する何がしかの解答めいたものが閃いたのは確かだった。ヴァルター・ベンヤミンは「認識は稲妻の閃光のようなものでしかない。テクストは稲妻の後に長く続く雷鳴である。」(『パサージュ論』[N1,1]岩波現代文庫)と書いているが、その残響が閃光の在り処を正しく指し示すものとは限らないという危惧を抱きつつ筆を執りたい。
同館の展示は、正方形(213cm×213cm)の綿布6枚を用い、それらを四方の壁面に貼り、或いは垂らし、或いは床に敷くといった設置の仕方であり、三方の綿布の上・下・左・右のそれぞれ一箇所の壁面には細いテープで四角が縁取られ、残り一方の綿布は型押しをするように木枠を包み、通常のキャンバス様の形態をなしている。近づいて見れば、各々の綿布には一瞬のストロークを思わせる黄色い油彩の痕跡が処々に認められる。また敷かれた綿布の上や床にはアクリル絵具で白く彩色された小石が幾つか置かれている。ギャラリー内に立ち入って覚えるのは全体に、至っ静謐な空気である。通常、インスタレーション(仮設設置作品)といえば物が複数置かれ、或る限定された時間の中で、或る一定の空間を作家の濃密なモティーフで包み満たし、その空間全体を作品として提示するものであると僕は受け止めているが、高島の作品は6枚の綿布を主とするそれぞれが個々の作品であるという感じは薄く、あたかもギャラリーの広やかな空間自体がひとつの作品であるという印象を抱かせる。否、それは作品とすら呼び得ぬものなのかも知れない。そのモティーフとは一体、何なのだろうか。
高島は、一貫して「確認」という言葉を使って自らの創作姿勢を説き、同時に室内展示には「用意されている絵画」というタイトルを冠している。着目したいのは、彼が自身の制作に「絵画」という言葉を用いているということだ。
現代美術には最早、無条件の前提といったものは存在しない。その「絵画」においては、それが現実の物であれ、イリュージョンであれ、痕跡であれ、写像は飽くまでも任意に選び取られたものに過ぎないということであり、また絵筆・絵具・キャンバスなどの手段も同断である。それは裏返せば、作品を「絵画」として定義するのは作品自体や鑑賞者ではなく、多くは作家の意識の側にあるということだろう。現代美術史には、キャンバスにナイフで鋭い切れ目を入れただけの作品やバーナーで焼け焦げの痕を付けただけの作品が「絵画」として登録されている。しかしながら、高島の展示には尚、「絵画」らしい気配がある。彼は極めてパーソナルな関心と立場から或る時期まで彼を導いてきた美術の一切を無効にして、「絵画」というものを問い直し、自らの創作の前提と成り得る位置を「確認」しつつ、慎重に制作に取り組んでいるように見える。
それにしてもアプリオリな前提や基盤、規範の無いということは一面では「自由」であり、それを無条件に受け入れて無数の現代美術の作家が天真爛漫に腐心しながら制作を展開してきているのは事実だろう。しかしながら、「自由」に伴う「関係」の断絶や離脱に気付くものは少ない。表現行為は他者との相互的な「関係」の探求・構築の上にしか成立しないが、その他者とは現実の対象だけではなく、過去とその作家・美術作品の総体をも指すのは言うまでもない。精神の臍帯を断ち切ることは難しい。むしろ、そうした過去の総体に対する弁証法的受容の「関係」を引き受けなければならない。創造は不可視の引用に支えられているとさえ言えるだろう。
高島の展示空間には「絵画」の「臨終の秘蹟」に立ち会っているような惻々たる喪失感がある。彼は「自由」からさえも遺棄されているのだ。「関係の断絶や離脱」を「断絶や離脱の関係」として受け止めるには、「自由」すら放棄する必要がある。その徹底したストイシズムの空漠たる精神の「荒野」を、生きいきと表現の発生する「未生以前」の薄明へ、そしてやがては「沃野」へと反転させること、そこに高島のモティーフがあるのではなかろうか。
さながら展示空間に浮遊しているかのような四方の綿布は「絵画」降臨の御幣であり、小石や四角いテープの縁取りは「絵画」の降臨するであろう「結界」を暗示している。
(美術評論家、俳人)
主な個展
1985 「関係1985」(アートスペース・コア/束京)
1987 「関係 Jun.1987」(ギャルリー・スズキ/埼玉)
1988 「関係 Mar.1988」(真木画廊/東京)
「開係 Oct.1988」(かねこ・あ一とG1/東京)
1989 「関係 Feb.1989」(ギャラリー伝/束京)
「間係 July‐1989」(真木画廊/東京)
1990 「開係 Feb.1990」(柳沢画廊/埼玉)
「関係1989〜1990 with Land scape」(ガロ・アートスペース/埼玉)
「聞係1989−1990/PAPER&WOODWORKS」(O-LAND ART SQURE/埼玉)
1991 「関係 Oct.1991」(J2 GALLERY/東京)
1992 「関係 Jan.1992」(ギャラリー伝&FLOOR.2/束京)
「関係 May.l992」(ギャラリーK/束京)
1993 「関係 May.1993」(真木・田付画廊/東京)
1994 「関係 Mar.1994」(浦和マチエック/埼玉)
「Fu. May l994」(ギャラリーK/東京)
1995 「Fu. May l995」(真木・田村画廊/東京)
「Fu. July l995」(KIM NAE HYUN ART GALLERY/ソウル・韓国)
1996 「-物・間・為-Fu.(Mayl996)」(ルナミ画廊/東京)
1997 「用意されている絵画-Fu.(May‐1997)」(真木・田村画廊)
1998 解放された視野・2高島芳幸展「用意されている絵画一Fu.(Apr.1998)」(ルナミ画廊/東京)
「用意されている絵画-Fu. (May.1998)」(西瓜糖/東京)
「用意されている絵画-Fu. (Nov.1998)」(Gallery彩園子/岩手)
「関係 Nov. 1998」(Gallery彩園子2/岩手)
1999 「用意されている絵画-Fu. (Feb.1999)」(GalleryFLOOR.2/東京)
「聞係 July l999」(真木・田付画廊/束京)
2000 ことばの領分・高島芳幸展「用意されている絵画一Fu. July‐2000)」(ギャラリーそわか/京郡)
「用意されている絵画-在るもの/見えるもの」(マチェック・高円寺/東京)
2001 「用意されている絵画-在るもの/在ること」(Galerie de Cafe 伝&Gallery FLOOR.2/東京)
「用意されている絵画-在るもの/在ること」(ギャラリ一現)
2002 「関係Sept. 2002」(マチェック・高円寺/東京)
2003 「用意されている絵画-絵画をおく?」(SPC GALLERY/東京)
2005 「用意されている絵画-Painting-」(ギャラリー現/東京)
2006 「存在から関係へ」(The ART STAGE PORALIS/神奈川)
2007 「用意されている絵画-絵画という時間-」(ギャラリー睦/千葉)
「用意されている絵画-絵画という時間?-」(ギャラリー現/東京)
2008 高島芳幸展(現代HEIGHTS Gallery Den.ST/東京)
主なグループ展
1984 第7回現代美術の祭典コンクール・優秀貫(埼玉県立近代美術館)〜’87
1985 第3回吉原治臭美術貫コンクール(大阪府立現代美術センター)
モダンアート展(〜2000東京都美術館)
1986 現場’86展-内在する暴刀・暴動の衝突展(福島県立支化センター)
1987 現場’87展-通行する日常と非日常展(福島県桑折町体育館)
1989 第19回現代日本美術展(東京郡美術館.京都市立美術館)
’89アクリラート展(O美術館東京)
EX‐IT(スペースAD.2000東京)
’89コンテンポラリー・アート・フェスティバルー99(埼玉県立近代美術館)
NOT TITLE SUMMER’89現代アーチストセンター展(束京郡美術館)
1990 聚繖花序(埼玉県立近代美術館)
名栗湖野外美術展90−92(名票村埼玉)
1991 Get out F32。(東京都美術館)
’91TAMON賞展/優秀賞(柏・そごう/千葉)
滝沢アートフィールド ’91,93,95,97,2001(滝沢村・岩手)
1992 磁気状況’92 part I(Gallery 彩園子・岩手)
1992春宮崎町美術展(宮崎町宮城)
野外の表現展92(北浦和公園・埼玉)
1993 名栗湖国際野外美術展93〜95,97,99(名栗村/埼玉)
1994 日韓現代美術交流展(船橋市民ギャラリー/千葉)
原風景7,8(束京都美術館)
EX’(千葉県立美術館)
1995 韓日現代美術交流展95「末来への予感」(清州/韓国)
1996 ART FROM 蔵王96,98(山田牧場/宮城)
子午線96・美術のユートピア(霊山町/福島)
1997 芝山国際野外アート展97(芝山町/千葉)
CONTEMPORARY ART FROM JAPAN(HAFNARBORG/ICELAND)
トラッシュライブ’97(台場/東京)
断片一関係 Fragments‐Relation(ルナミ画廊/東京)
1998 第9回嬬恋高原芸術展〜99(嬬恋村/群馬)
森の郵便局みやしろ「トライアングル 芽 種 土」(笠原小学校/埼玉)
トラッシュライブ’98ゴミと美術家達展(西新宿中央通り歩道/束京)
1999 国際現代美術展「波動1999〜2000」(光州市立美術館/韓国)
アーティストの周縁(アートスペース・トキ/東京)
昭和24年会+2/2000年展(アートスペースわらぴ荘裏空き地/埼玉)
2000 The Movements of the Arts[芸術の胎動](ミューズ ザ・スクェア/埼玉)
国際現代美術展「波動1999−2000」(神奈川県民ホール/神奈川)
2001 SPIRITの旅行・2001(ギャラリーアート2001/C,福島)
再会プロジエクト・国際環境美術展(大森ベルポート/東京)
2002 日韓O円周のない円展「The Voyage through the modern art of Yamate」(横浜・イギリス館/神奈川)
美術の現在・現在の美術(ギャラリーアート2002/福島)
釜山国際環境芸術祭(龍頭山美術館/韓国)
第5回 我孫子野外美術展(我孫子市・古利根の森/千葉)07
2003 平面と立体の間-インスタレーション・高島芳幸(うらわ美術館/埼玉)
国際現代美術展=21世紀現代美術と今=(光州ビエンナーレ美術館/韓国)
国際野外の表現展 2003比企, 04.08(東京電機大学キャンパス/埼玉)
ART COCTAIL 2003-05(山脇ギャラリー東京)
2004 04 アイスランド・日本現代美術展(ハフナルボルグ/アイスランド)
国際現代美術展「眼差しの東洋・手の記憶-沖縄からの発信」
(浦添市美術館、旧国頭村立小・中学校/沖縄)
2005 日韓現代美術展「環流」-共鳴、共振する場-
(大谷地下資料館、現代史資料館「まほろば」、GALLERY GOTMOI/韓国)
2006 CAF.N Michigan Exhibition
(Duderstatdt Center Gallery,The University of Michigan/アメリカ)
ART MEDICINE(東京都美術館)
ART COCTAIL 2006 in 笠間(大谷石倉庫/茨城)
千早赤阪村野外美術展 in 金剛山(大阪府).07
第6回「かたち・ふれあい」展(実践女子大学/東京).07.08
美術計画2006(村田商人ヤマショウ記念館/宮城)
2007 CAF.NEBULA in 松江(島根県立美術館/島根)
接近展part?(府中美術館・府中郷土の森博物館/東京)
美術計画2007塩竃(旧徳陽シテイー銀行/宮城)
「11人の;」(東京都美術館)
日韓現代美術展2007—多面体—(川崎市市民ミュージアム/神奈川)
2008 Art Base Null 作家交流展 in 山田家(大阪)
現代の掛け軸展(ラトビア国立海外美術館/ラトビア)
アートinはむら展?(羽村市生涯学習センターゆとろぎ/東京)
「独り+35人の原風景展」(東京都美術館)
「ギャラリー彩園子の現代作家50人展」(ギャラリー彩園子/盛岡)
相模川野外アート展 Water Link 2008(相模湖交流センター/神奈川)
主な舞台インスタレーション
1996 「鶏アタマ/1000,2/1000」叛適信(浦和マチェック/埼玉)
2000 「COME ON GET HAPPY」叛通信(浦和マチェック/埼玉)
「DIG DOG」/TPCB(浦和マチェック/埼玉)
2002 かなざわ国際演劇察2002「HITBOL」/TPCB(かなざわ芸術村/石川)
2006 ACkid 2006/喜多尾浩代ダンスコラボレーション(キドアイラック・ホール/東京)
2008 ACkid 2008/長岡ゆり舞踏コラボレーション(キドアイラック・ホール/東京)
パブリック・コレクション
HAFNARBORG(アイスランド)
文献/その他
同人雑詰「孤帆」8号『(関係)としての絵画/高島芳幸論』(高橋博夫)
現場 ’86展記録集 展評(田野金太)
磁気状況 ’92 展評(金野吉見)
壁新開「彩練子」1992(金野吉昆)
ACRYLART vol.9(Moving Now〉(作家)
’89アクリラート展カタログ(作家)
聚繖花序カタログ(作家)
「関係 May 1993」個展カタログ(高橋博夫)
同人雑詰「孤帆」14号『私の「表現」をめぐって』(作家)
CONTEMPORARY ART FESTIVAL 93〜99カタログ
Works 1992−1997高島芳幸「用意されている絵画」カタログ(山岸信郎、高橋博夫)
「ことばの領分」・高島芳幸展カタログ/展評(篠原誠司)
10.14(Tue) – 10.25(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
50代になり、こりゃいい作ってみようか、というおもしろい
アイデアも少なくなって来た。それが近頃は、こりゃいいかも知れない、
とにかく作ってみよう、新しい発見につながるかも知れないに変わってきている。
現実なのか、夢の中で作っているのか、わからなくなって来ているが、
自然に教えられ、遊び心を持って、
制作していれば、そのうち自分の道が残っていくだろう。
1951 宮崎県青島生まれ
1977 東京芸術大学大学院彫刻専攻修了
1984 「現代のユーモア」展(埼玉県近代美術舘)
1985 神戸具象彫刻大賞展《大賞》
1987 「彫刻動物園」(栃木県立美術館)
長野市野外彫刻賞
1989 横浜彫刻展《入賞》
神戸具象彫刻大賞展招待参加《優秀賞》
1994 現代日本具象彫刻展《大賞》
倉敷まちかど彫刻展《入賞》
1997 ふれあい彫刻展(宮崎県立美術館)
2000 むし虫ワールド(群馬県立近代美術館)
足立区野外彫刻コンクール(入賞)
2002 日向現代彫刻展(市民大賞)
9.16(Tue) – 9.27(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
大塩博美 (おおしお ひろみ)
1955 長崎県島原市生まれ
1978 多摩美術大学 卒業
1980 多摩美術大学大学院 卒業
2000〜 多摩美術大学 講師
第1回「北九州絵画ビエンナーレ」展 入賞(北九州美術館)
’78「日仏現代美術」展 入賞
「近藤等則 有明MZAコンサート」舞台美術(東京)
高城病院レリーフモニュメント「Lady Earth」制作(長崎県島原市) etc
【個展】
ギヤラリー手
真木画廊
コバヤシ画廊
ギャラリーQ+1
アートフォーラム谷中
玉川高島屋
仙川プラザ・ギャラリー etc
【グループ展】
「表現の現場」展(多摩美術大学院構内)
「概念と空間」展(千葉県立美術館)
「大谷地下美術展」(栃木県宇都宮市/大谷資料館)
「トポロシカル・オーケストラ」(神奈川県民ホール)
「第2回犀川国際アートフェスティバル」(長野県信州新町)
「多摩川野外美術展」(多摩川河川敷)
「日韓現代美術交流展」(韓国/清州)
「夏アルプスWaミュージアム展」(長野)
「ながさき・水の波紋’95 展」(被爆50周年祈念アートフェスティバル)
「 東京湾・トラッシュ・ライブ(ゴミと美術家達)in台場」(潮風公園)
MinM Project,展などに参加
アートソーコ53の企画、運営に参加
9.2(Tue) – 9.13(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 (Last Day PM5:30)
Closed on Sunday
今展DM
在所 – aridokoro – を求めて 永倉 知美
在所、それは私達の中に予め用意されているものなのだろうか。例えば人体に組み込まれたツボのようなもの
だろうか。確かに肩こりに効くツボは、多少の例外があったとしても万人に用意されているように思える。た
だし、次のように考えることもできる。痛みがあるからツボが形成された。つまり永い時間をかけてツボは人
体に用意されたと。そして在所は長い時間をかけて求められ、一つ一つ確定され図式化に至る。小宇宙の在所
を示した地図。そして宝の埋蔵を示した失われた文献。
後者は、例え発見されたとしても現在の私達にとってあまり意味を成さないだろう。翻訳できないからではな
く、使われている地名(?)がおよそ不明だから…あるいは彼の地にあって金銀財宝が眠っていると思い込ん
でいるに過ぎないからだ。
魂の在所とは何処にあるものなのだろうか。ある人は脳に、またある人は心臓にあるという。またある人はこ
の話題そのものを忌み嫌う。きっとその人の魂が自らの思想上、拒絶するのだろう。果たして魂は何処からき
て何処に向かって行くのだろうか。虚空からきて虚空に帰るのか ?
あるいは魂の在所には既に青写真のようなものが用意されているから…私達は望むことを実現するために努力
できるのか。そしてまた自らの在所を求めて彷徨い、時に別天地を求め、旅に出もするのだろう。
ドローイングという表現は、ある種の即興演奏に似ていないでもない。表現者の過去、現在、未来が瞬時に出
会い凍結されもする。断片的であればこそ統合的であるとは限らない。そこには絶対の完成を求めるべきでは
なく、表現者の魂の求める所、精神の産物、その形成の瞬間を垣間見るのである。そうした在所とは、表現者
に用意された技術からはみ出している部分、見えないはずの魂に触れる時を意味しないか。
然るに在所とは、世界と出会う場所。探し求める方法は幾通りもあれど…またそれらが交差する幾つかの瞬間
もある。それを単に共時的と括らせることはできない。全く別種類の表現の出会いもある。場合によっては相
殺しかねない。相補って完成される何かではあり得ないのだ。価値観の違いという大いなる揺らぎも、また見
る人によって増幅もされれば減幅もされる。この幾重にも多層化した交差地点で何を見つけ出すのか?
人の魂に出会う場所、自らの魂に出会える場所、それが糸口であって失われた財宝の在所とは、実はそんな所
に隠されているのではないだろうか。 2003年 8月15日
for immature plane 稲 憲一郎
99年 distance no.19、 00 年 distance no.20 という二つの展覧会のカタログに、私は「世界を単一の様式で
対象化することは出来ないだろう、だとすれば単一の様式に身をゆだね、そこに閉じこもるのではなく、同時に
多様な形式を持ち、断片的で多層な空間を行き来する。そうした空間の在りようにこそ現在のリィアリティがあ
り・・・・」と書いている。また「この交雑する空間の、不安定な今ここでと、価値の揺らぎの中で多層な空間
地図を重ね合わせて・・・」とも書いている。
私にとって、制作とは世界と出会う方法であり、作品は世界と出会う場でもある。そうした視点から、単一の形
式の中だけでは、今ここでというリィアリティを持ち得ないと言う欠落感がある。
私は1980 年代から、木で作った立体的な形態を支持体として、その上に線や色彩を用いて描くといった作品を
作ってきたが、こうした作品の制作は、ある位相において世界と出会う契機であるとしても、私という総体にお
いては、何か欠けているもの、見えないものがあると感じる。
もっと違った位相から見てみたいという気持ち、そうした欲望が、90年代後半から平面による作品という、異
なる形式を取らせているのかもしれない。今回のドローイングは立体的な作品が物であるがゆえに、現実へと遡
行する、ある種の非完結性と、平面による作品の全体性、あるいは統合への意志といったものがもつ矛盾の回路
と周縁についての思考の practice と考えている。
そして、その中には「何を、どの様に描くのか」という問題がある。
絵画が常に「何か」についての間接化として読みとられるのであれば、「何を」を対象化するという、もの(世
界)と私との関係は、あらかじめ認識の field で濾過されるのではなく、「どの様に」という、描く方法や形式
において絵画の実践の中で形成されるのであり、「何を」描くかという選択は、私と世界との関係を指し示すの
ではなく、この絵画という表面のざらつきの中で現れるのだろうから。 2003年7月31日
「虚空の湖(うみ)に眠る鳥」 玉 征夫
制作にもいきづまり、おまけに体調も最悪であった1999 年の夏、ペルーに1ヶ月ほど滞在した。父の享年を少
し過ぎたばかりの私は、漠然とした死のイメージに支配されていた。ペルーの首都リマは、ゴーギャンが幸せな
幼年時代を過ごしたところだ。ゴーギャンという画家の一生は、近代文明との相克にあった。それゆえタヒチと
いう楽園の消失は、彼の生の終わりでもあった。ゴーギャンの遺言ともいうべき「我々は……」の問いかけは、
絵の中の白い鳥に聞く間もなく、キノコ雲の現実となった。
インカの神々に助けられたのか、しだいに体調を取り戻した私は、クスコからマチュピチュへと、インカ滅亡の
道をたどりながら、最後にナスカの地上絵を見た。その地上絵は、子供の頃、地面にクギで描いていた B 29を
思い出させた。
戦後まもない頃であった。焼跡に建てたバラックのような家に、フーテンの寅のような大叔父が、たびたびやっ
てきては、両親を困らせていた。大叔父は父方の祖母の弟に当たる。放蕩の限りを尽くし、代々続いた飛騨春慶
塗の生家を潰したといわれていた。若い頃、南画を学んだという彼は、いつも紙や筆などの描画道具を持ち歩き、
動物や庭の草花をすばやく描いては私を驚かせた。私はこの大叔父から初めて絵の手ほどきを受けた。しばらく
して家に来なくなったが、絵の道は断念したらしく、蒔絵師となって一生を終えた。
今年の2月、SPC GALLERYで「虚空の湖に眠る鳥」というタイトルの作品を発表した。ドローイングで使って
いたスクラッチの線に、初めて細い筆の線を加えた。その筆の線の見えないところに大叔父の手があるのを感じ
た。
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
ゴーギャンの言葉が虚空から響く。 2003年7月31日
新里 陽一
アメリカひじき火垂るの墓真夜中のマリア心中弁天島てろてろ好色覚え帳壁他人の顔獅子孔雀春の雪奔馬暁の寺
天人五衰眠れる美女伊豆の踊子舞姫山の音千羽鶴古都細雪細雪細雪痴人の愛刺青秘密少将滋幹の母鍵瘋癲老人日
記吉野葛七回目物語蓼食う虫春琴抄卍猫と庄造と二人のおんな文章読本墨東綺譚つゆのあとさき踊り子あめりか
物語ふらんす物語すみだ川二人妻腕くらべ老子野菊の墓檸(れもん)檬我が愛する詩人の伝記随筆女ひとあだし
野風の又三郎銀河鉄道の夜山椒魚集金旅行駅前旅館遙拝隊長本日休診多甚古村黒い雨軍歌「戦友」カインの末裔
惜しみなく愛は奪う生まれ出づる悩み一房の葡萄小さき者へ生まれ出づる悩み或る女或る女焼け跡のイエス処女
懐胎紫苑物語地の群れ虚構のクレーン走れメロス晩年人間失格桜桃二十世紀旗手散る日本復員殺人事件安吾新日
本地理安吾史譚歌行燈高野聖、カードケースに入れられた金閣寺前の一組の男女の新婚旅行写真賭はなされた悪
魔と神実存主義とは何か存在と無想像力の問題革命か反抗かスウェーデンの演説不条理と反抗太陽の讃歌反抗の
論理幸福な死ギロチン不条理アストゥリアスの反乱裏と表結婚異邦人シーシュポスの神話…寝転んで何気なく本
棚を左側から1段目、2段目を見ていると小説のタイトル等がその様に並んでいてはっと自らに気が付き、ここ
でペンを置くことにした。 平成十五年七月三十一日
6.29(Sun) – 7.12(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 Closed on Sunday
今展DM
オープニング パフォーマンス
「CHAOSMOS LIVE」
観客が操作する事で、思いがけない複雑な自然現象を現出するカオスモスマシンに対して3人のパフォーマーがそれぞれの手法で係わり複雑に重層化する空間を現出する。
2003年6月29日(日)
5:30PM開場、6:00PM開演(¥1700/1ドリンク付)
引き続き、オープニングパーティ 7:00PM~
<出演作家>
倉嶋正彦 : Live Video Shooting & Projection
米本 実 : Live Electronics Performanse
原田 淳 : Sound & Operation Performanse
原田の奏作(そうさ=奏でるように操作すること)によりカオスモスマシンから生み出された複雑な現象(動き、乱流、振動)に対し。倉嶋はビデオカメラで撮影し、プロジェクターで壁面に拡大投影する、壁面に取付けられた光センサーが映像の光の明暗で米本マシンの音響を変化させる。倉嶋は撮影と同時にビデオカメラによる演奏を行なう事になる。
米本は、独自の手法でカオスモスマシンの各部分に取り付けたコンパクトマイクで、原田が生み出す音及び振動を拾いあげ、倉嶋の映像による光センサーの信号と共に米本マシンで音響化し、PAから放出する。壁面の映像、PAからの音響に対し、原田はさらなる奏作(そうさ)を展開する。
カオスモスマシンで演奏する原田、ビデオカメラで近接撮影
する倉嶋の映像が壁面に映される、米本の掲げた手には映像
に反応する光センサーが…
CHAOSMOS LIVE コンセプト
例えば、オーケストラの指揮者が10人いれば、同じスコアに対して、10通りの解釈が存在する。優れた指揮者は、作曲家が創造力をつぎ込んで書き上げた「作品」を、創造的な解釈により、さらなる次元へと解き放つ事ができる。CHAOSMOS LIVEは、カオスモスマシンに対し創造的な解釈=表現を行なう事を3人のパフォーマーに依頼しました。それぞれの解釈=表現は互いに干渉し重層化しCHAOSMOSに対する解釈をより深化させます。
なぜなら、3人の優れたパフォーマーは、干渉し合う事で、打ち消しあうのではなく、超相乗的に次元を超える創造力を持っているからです。
冨岡雅寛
美学校細密画工房卒。’94〜動力を使わず、鑑賞者が操作することで思いがけない動きを生じる「カオスモス」シリーズを展開[カオス等の非線形現象を生み出す観客対話型の装置カオスモスマシンによって観客と複雑な自然現象との対話をリアルタイムに可能にする。
<広義のカオス理論、流体力学、非線形物理学等にインスパイアされた作品を制作している>
テーマとなるのは、複雑な自然現象とともに、観客が触れて関わるという行為のあり方。
[個展]
94/02 カオスモス展 画廊 遊
99/12 カオスモス展’99 「YOU KNOW CHAOSMOS」ギャラリーカロカロハウス
01/02 カオスモス展’01/first 「CHAOSMOS ETHICAL LABO」小野画廊II
01/07 カオスモス展’01/second 「CHAOSMOS WAVE MACHINE PARTY」マキイマサルファインアーツ
01/09 カオスモス展’01/third 「CHAOSMOS」garelly CRADLE
02/02 カオスモス展’02/first 「CHAIN REACTION」小野画廊II
02/05 カオスモス展’02/second 「The CollectorsCHAOSMOS」ギャラリー カロカロハウス
02/11 カオスモス展’02/third「CHAOSMOS Heterogeneous Reaction」garelly CRADLE
[主に参加した企画展]
94〜00 「メビウスの卵展」(品川、多摩,仙台,福岡)
97/02 来るべきかたち展(銀座 牧神画廊)
00/07 観客参加型展覧会(宮崎県立美術館)
01/01 エネルギー賞企画展(TEPCO銀座館)
02/07 交感展 冨岡+文 (para GLOBE)
02/11 第54回「形の科学会シンポジュウム」特別展示(京都大学)
[その他の活動]
科学館による作品の購入,借用
ワークショップ
ダンサー、音楽家、ビデオ作家、写真家などとのコラボレーション
カオスモスマシンのディスプレイ的展開(販売)
[コンクール]
97/10 ’97 LANDSCAPE ART(山形県新庄市) 入選 展示
98/03 前橋アート・コンペ・ライブ(群馬県前橋市) 入選 参加
98/07 あかりのオブジェ展(岐阜県岐阜市) 入選 展示
99/01 エネルギー賞(TEPCO銀座館) 入選 展示
00/01 エネルギー賞(TEPCO銀座館) 入選 展示 審査員特別賞
01/01 エネルギー賞(TEPCO銀座館) 入選 展示
03/01 エネルギー賞(TEPCO銀座館) 入選 展示 特選受賞
03/02 東京アートファクトリー ワンメーター展 東京アートファクトリー賞受賞
原田淳 (写真右) http://www5d.biglobe.ne.jp/~mfr/
ドラム・打楽器奏者、作曲家。1980年頃より フリーミュージックグループ “陰猟腐厭”(いんりょうふえん)にて演奏活動を開始。80年代はドラマーとして、“水の羽 ”“Jeuno”など数多くのバンド、セッションに参加。ライブハウス、美術館、アートフェスティバルなどで演奏活動を展開。
80年代終盤より90年代は、ソロの打楽器奏者として、ダンス、演劇、Perf.など他ジャンルのアーティストとのコラボレーションに活動の中心を移す。
2002年3月、自主レーベル『Moon Fantasy Reprise』を構想。 現在DTMなど新たな手法を取り入れた初のソロアルバム『 Archaic Record 』を制作中。代表作に『妥協せず』 『陰猟腐厭』など。
ヒトが本来持っている有機的なリズム、ビートの探究と継承、それによる交感を主な活動目的とする。
米本実 (写真左)
1969 東京に生まれる
1988 都立墨田工業高等学校電気科 卒業。
1993 日本大学芸術学部音楽学科 卒業。
1996 同 大学院芸術学研究科音楽芸術専攻修士課程 修了
幼少の頃から機械と音楽に興味を持ち、電子楽器を使って作曲するかたわら電気楽器の制作を始め、現在ビデオ作品のサウンド・トラック制作や、音楽とテクノロジーの関わりをテーマにサウンド・インスタレーション、パフォーマンスを行なっている。95年、ルイジ・ルッソロ国際コンクール入選。
自他ともに認める、東東京が生んだハンダ付けのうまい音楽家。
倉嶋正彦 (写真中)
グラフィックデザイン、デジタルイラスト、映像作品を制作。
現在、シリーズ作品として、
・ デジタルイラスト作品「PATENTE Visual Wonderland 」
・ ダンスをテーマにしたドローイングと映像作品「DANCE WIND」
・ 画家の作品イメージを映像としてとらえた「視而不見」
以上を製作し、個展等で発表している。
・ 「DANCE WIND」はライヴパフォーマンスとしても展開中。
6.11(Wed) – 6.27(Fri) 2003
PM12:30~PM7:30 Closed on Sunday
今展DM 表裏
杉の枝を整形し皮をナイフで削った。
その白木を空間に浮かべて見る。
その空間と呼吸し、やがて
呼応してその場の ”力 ”が染み出す。
すると、
歴史の中に忘れ去られた地層の”気”
や、”磁場”が感じられる。
五感を研ぎ澄ましその土地の空気を
吸ってみる。
風に当たって見る 。
するとそのことが、場が要求する形や
大きさを選びとり
決定させてくれる。
1953 千葉に生まれる
1977 武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業
【個展】
1980、81、82、83 楡の木画廊(東京)
1981 田村画廊(東京)
1985、86、89 ルナミ画廊(東京)
1985 ギャラリーなつか(東京)
1986、87、98 真木画廊(東京)
1990 ART SPOT船橋西武(船橋)
1991、94、96 ギャラリーK(東京)
1992 プラザギャラリー(仙川・東京)
1997 ギャラリー睦(千葉)
1998 藍画廊(東京)
2000 ギャラリー羅針盤(東京)
2003 SPCギャラリー(東京)
【グループ展・他】
1978 大学版画展(洋画商協会ホール・東京)
1980 2人展(田村画廊)
1981 千葉県新進作家展(西武美術館船橋・船橋)
1981 屈折の養分 (千葉県立美術館)
1982 あらはれ(千葉県立美術館)
1983 エスキース展(楡の木画廊・東京)
1983 釜山ビエンナーレ(釜山国立博物館・韓国)
1983 複眼の試み(M画廊・福井)
1984 あ・はれ (千葉県立美術館)
1984 日韓現代美術展(ときわ画廊ほか5画廊・東京)
1985 はれ(千葉県立美術館)
1985 TOKYO-TAEGU 日韓現代美術交流展(東野画廊・東京 SOO画廊・韓国)
1986 ANALOGY‘86 (千葉県立美術館)
1986 金錫換、武内カズノリ展(ルナミ画廊・東京)
1987 生成の観察(千葉県立美術館)
1987 生成の解剖(藍画廊・桧画廊、PALERUGON II・東京)
1987 大谷地下美術展(大谷記念館・栃木)
1988 現代木刻Festival (関市民会館・岐阜)
1988 金錫換・武内カズノリ展(HAN画廊 SEOUL・ 韓国)
1988 エクスタシ(千葉県立美術館)
1989 TWO WEEKS IN THE SPRING (平砂浦海・館山)
1990 TWO WEEKS IN THE SPRING (北条海岸・館山)
1990 現代日本木刻Festival (関市民会館・岐阜)
1990 ワンパク王国野外現代彫刻展(ワンパク王国・船橋)
1990 検証そして‥(千葉県立美術館)
1991 TWO WEEKS IN THE SPRING (沖の島・館山)
1991 日韓現代美術交流展(西武ARTFORUM・船橋)
1991 そごう現代美術Festival(千葉そごう・千葉)
1992 思考形態(千葉県立美術館)
1992 日韓現代美術交流展(清州国立博物館・韓国)
1992 金錫換 武内カズノリ展(THIRD GALLERY・SEOUL 韓国)
1993 渚にて(千葉県立美術館)
1993 環境彫刻展(船橋海浜公園・船橋)
1994 日韓現代美術交流展(船橋市民ギャラリー・船橋)
1995 ながさき水の波紋‘95 被爆50周年記念展 (長崎大学ほか・長崎)
1995 日韓現代美術交流展(清州芸術の殿堂・韓国)
1996 NHKTV おはよう日本〈千葉の流木アーテイスト〉出演
1997 芝山国際野外アート展(芝山観音教寺・千葉)
1997 夢の島熱帯植物館 ‘アートミーツプランツ’97(新木場・東京)
1997 現代日本美術の現況(リヨン ツールーズ・フランス)
1998 御宿まるごと美術館(月の砂漠海岸・御宿)
1998 芝山野外アート展‘98(芝山観音教寺・千葉)
1998 リサイクルアート展(ギャラリー由芽・三鷹)
1999 …TEN展 藍画廊10周年記念展(藍画廊・東京)
1999 カードサイズワークス(ギャラリー羅針盤・東京)
1999 御宿まるごと美術館(御宿町各所・御宿)
1999 芝山野外アート展‘99(芝山観音教寺・千葉)
1999 KOREA・JAPAN CONTEMPORARY ART SHOW ’99(釜山市立文化会館・韓国)
2000 ベトナム タイ 日本現代美術交流展(船橋市民ギャラリー・千葉)
2000 三浦半島美術展’半島1’(城が島、三浦市・神奈川)
2001 舞岡自然芸術祭”魂の力”(横浜・神奈川)
2001 現代美術から見た縄文(飛ノ台縄文博物館・船橋.ちば.)
2001 日本現代美術展(Rajyabhat Institute Swan Dusit Gallery・bankokku ・ タイ)
2001 青葉トリエンナーレ(タマプラーザ駅前ロータリー・横浜市)
2002 現代日本美術展 (リヨン市立Gallery・フランス)
2002 大須賀芸術祭 (大須賀城祉・静岡)
5.14(Wed) – 5.30(Fri) 2003
PM12:30~PM7:30 Closed on Sunday
今展DM (A4) 表裏
「廃油の海に・・・」 原美術館学芸員 青野和子
国道16号線-横須賀・厚木・座間・横田・・・いくつもの米軍基地を南北に繋ぐ(かつて旧・日本軍の軍用道路であった)この道のほど近くに、松本雅之が勤務する大学がある。2003年春、そこは本展のための作品制作の現場ともなった。
ときはまさにイラク戦争の胎動から開戦、バグダッド陥落、終結、戦後処理(あるいは新たな火種)へと向かってゆく最中。アトリエでは、日々刻々と動く戦況を伝えるFENが高音量で響き、廃油の匂いが鼻をついた。
初めてその作品を目にした瞬間、私は、「松本氏は発表の機会に恵まれなくともこれを作ったに違いない。」と直感した。一昨年の9.11以来、「平和」のスローガンを掲げた発言と議論が、あらゆる分野で活発に展開されていることは周知のとおりであるが、ここに明快なひとつの形を見せつけられた思いがしたのである。
本展タイトルの「沈黙の庭」とは、レイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」からの引用である。破壊されゆく自然の姿同様、突き上げる創作の衝動とその造形化は、言葉よりも雄弁に見る者に語りかける。それは静かに、しかし深く長く一人一人の魂へと浸透し、私たちが自らの言葉を紡ぎ、自らの判断と意志で行動する契機へと切り結ばれていくことだろう。
言うまでもなく、彫刻家は誰しも、その量塊性・空間性・構築性・そして彫刻性についての葛藤と試行錯誤を繰り返す。松本は1970年代より、鉄や真鍮の板材との身体的関わり(例えば鉄パイプでそれを打ちのめす行為)を通し、構造と表面を探る「格闘の痕跡」としての作品を作り続けた作家であった。学生時代に金工の技術を身につけた松本が、近年、再び素材を慈しむように掌に受け止め、植物を写実的に彫刻するようになったその心裡には、やはり戦争と伝染病が不安と虚無を増長させる、暗黒の中世さながらの現在の社会状況が見てとれるようだ。 また、素焼きの植木鉢や有毒性液体廃棄物の回収ポリ容器の中を空洞にし、水で覆った表層に廃油を漂わせる今回の手法は、盆景に宇宙を内包させるわが国の文化や、その社会のはりぼて構造まで想起させる。
廃油の海のなかで沈黙し立ちすくむ失われた森の木は、抗い難い大きな力によっていままさに暗黒の奈落へと引きずり込まれようとしているのか。否、それは、大きな時間を内包した、再生と循環、浄化の象徴としてそこにあるに違いない。
その廃油の海に、見失った行方を再び求め、力強く小舟を漕ぎ出した作家松本雅之自身の姿があった。
虚無の予感 - 沈黙の庭へ - SPC GALLERY 永倉知美
混沌たるイラク情勢…。松本雅之が今回発表する作品の制作動機には、開戦の予感があったといいます。劣化ウラン弾は必ず使用され、エコロジーや ホーリズムのムーブメントは、この戦争で台無しになってしまうかもしれない。人々は圧倒的な暴力の前でなすすべが無くなる・・・。そんな<虚無の予 感>が、松本のなにかを突き動かしたようです。
1953年生まれの松本雅之は、東京芸術大学大学院在籍中より個展による発表活動を開始し、多数のグループ展を通して常に現代を「検証」してきた彫刻家です。その四半世紀の活動は「芸術の社会化」と「社会の芸術化」を目指した様々な試みに及び、ホスピタルアートプログラムや癒しの空間づくりなど、アートを福祉や保健に役立てるための研究と実践にも携わることになりました。現在、東海大学健康科学部教授として多くの社会的活動を展開しています。
松本は、この企画のオファーに当たり、以下のようなコメントを寄せています。「ここ数年、個展での発表から遠ざかっていた私は、この時期にあえて発表の機会を持つべきだと考えました。制作の手を止めず、表現する試みを持続することが、美術家として <虚無の予感> に立ち向かう唯一の方法だと思い至ったからです。」
今回の個展では、廃油を蓄えた大型の植木鉢が、会場の床一面に配置されます。静かな廃油の表面には時折波紋が生じ、会場に流される株式市況のラジオ放送や砲撃音がこれに連動します。音響に連動した波紋のゆらぎは、見る人により、ある種のメッセージへと連なっていくことでしょう。
「兜町」という場、「米国」の世界戦略、「油」の持つ意味、いくつかの記号が絡み合いながら提示される予定です。それは、波紋の形状とともに見る人のそれぞれ の心に生起した、今という時代に重なる仕掛けを準備しているということです。この松本の表現を単なるプロパガンダとして受け止めるべきではないでしょう。
この閉塞的状況にある現代社会にあって、「一彫刻家の表現を、見る人自身が、様々な方法で解読していくための自由と広がりに委ねたい」という松本の願いは、彼自身が、芸術を福祉や保健に役立てるための方法を探求、実践してきたことと無縁なことではありません。
「芸術は、決して無力化されない」との意志。松本雅之7年ぶりの個展。久々の新作をぜひご高覧いただきたくご案内申し上げます。
松本 雅之(まつもと まさゆき) 彫刻家
彫刻家としての制作活動のほか、「芸術の社会化」を目指した様々な試みを行っている。ホスピタルアートプログラムや癒しの空間づくりなど、芸術的手法を福祉や保健に役立てるための方法の開発と実践にも携わっている。
1953 京都府生まれ
1978 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修士課程修了
1994〜1995 ロンドン大学スレイドスクール訪問研究員
1995 東海大学健康科学部助教授
現 在 東海大学健康科学部及び大学院健康科学研究科教授
【個展】
1977〜1982まで毎年 松本雅之個展 楡の木画廊(東京・銀座)
1983 松本雅之彫刻展 −8月の表現シリーズNo9−ギャラリー・アメリア(東京・青山)
1984〜1985まで毎年 松本雅之展 −廃市− ギャラリーK(東京・赤坂、銀座)
1986 松本雅之展 −廃市− ルナミ画廊(東京・銀座)
1987 松本雅之展 −廃市− ギャラリー射手座(京都)
1987 松本雅之展 −廃市− 秋山画廊(東京・日本橋)
1988 松本雅之展 −廃市− 画廊パレルゴンII(東京・神田)
1988 松本雅之展 −廃市− アート・ハウス(群馬・沼田)
1989 松本雅之展 −廃市− ルナミ画廊(東京・銀座)
1989〜1993まで毎年 松本雅之展 −廃市− ギャラリー・サージ(東京・神田)
1992 松本雅之展—廃市−ギャラリー・バレンタイン(長野)
1995 松本雅之展 −廃市− ギャラリー・サージ(東京・神田)
2003 松本雅之展 −沈黙の庭− SPCギャラリー(東京・日本橋)
【グループ展】
1974〜現在まで毎年(94除く) 行動美術展 東京都美術館他(80会員推挙)
1976 第七回行動新人選抜展 紀伊国屋画廊 (東京・新宿)
1977 第13回現代日本美術展 東京都美術館 京都市美術館
1979 SITY−MEDIA3 G.アメリア(東京・赤坂)
1980 千葉県新進作家展 西武美術館(千葉・船橋)
1980 第13回日本国際美術展 東京都美術館 京都市美術館
1980 INSIDE-OUTSIDE展 G.アメリア(東京・赤坂)
1981 視覚サーカス展 銀座松阪屋 (東京・銀座)
1982 第14回日本国際美術展 東京都美術館 京都市美術館
1982 POSITION展 G.アメリア(東京・赤坂)
1983 第4回北関東美術展 栃木県立美術館
1983 現代美術の新世代展 三重県立美術館
1984 同時代性の初話 埼玉県立美術館
1984 現代のユーモア 埼玉県立美術館企画展示室
1986 PADOCK part? エスパース ポイント(パリ)
1986 形式考−見えるものから− 画廊パレルゴンII(東京・神田)
1986 万象の変様−37の美術表現− 埼玉県立美術館
1986 コンタクタ ’86 O.A.G ドイツ文化会館(東京・青山)
1987 現代のイコン 埼玉県立美術館企画展示室
1987 ルナミ・セレクション ’87 Part.2 ルナミ画廊(東京・銀座)
1988 COLLECTION ‘ イメージトレーニング 画廊パレルゴンII(東京・神田)
1989 第19回現代日本美術展 東京都美術館 京都市美術館
1989 今日の視線・空間 アートスペース砺波(富山)
1989 現代彫刻の新世代展 清瀬市郷土博物館(東京)
1989 第一回KAZIMA彫刻作品展 鹿島アトリウム(東京・赤坂)
1990 第18回日本国際美術展 東京都美術館 京都市美術館
1990 オブジェクト展 愛宕山画廊(東京・銀座)
1991 第20回現代日本美術展 東京都美術館 京都市美術館
1991 卓上の彫刻展 アルクスギャラリー(東京・銀座)
1992 第21回現代日本美術展 東京都美術館 京都市美術館
1992 複合展 ギャラリー・サージ(東京・神田)
1993 ルナミ画廊30周年記念展 ルナミ画廊(東京・銀座)
1993 東大和市ランドアート展「慶性門」プロジェクト 多摩湖畔(東京)
1994 青森野外彫刻展’94 青森県立図書館 近代文学館
1995 Portes Ouvertes Japon 「開かれた扉・日本展」(パリ・バスティ−ユ)
1996 My House Your Houseギャラリー・サージ
1996 日仏現代美術交流「共鳴する場へ」旧立誠小学校校舎(京都・木屋町)
1996 20×20−展 ギャラリー・マロニエ(京都・河原町)
1996 RESONANCE展 ギャラリー楽(京都)
1998 「アートハウスの10年」展 ノイエス朝日 ペーパーテック(群馬・前橋)
1999 「アートハウスの10年」展 Part2ギャラリースペース21(東京・銀座)
2000 オリエ・アートギャラリー オープニング展(東京・北青山)
2004 スローアート展「わ」 SPCギャラリー(東京・日本橋)
2005 Rotation of Axes 1 SPCギャラリー(東京・日本橋)
松本 雅之 氏(まつもと まさゆき さん = 彫刻家、東海大専任教授)2012年12月9日午前8時20分、食道がんのため神奈川県厚木市の自宅で死去、享年59歳。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
4.19(Sat) – 4.25(Fri) 2003
PM12:30~PM7:30 Closed on Sunday
今展DM 表裏
オープニング・パフォーマンス [seitie]
2003年4月19日(土)pm6:00 start
万城目純(ダンス)+荒井はるみ(ダンス)+高橋聖市(音)
入間川正美(チェロ)+若尾伊佐子(ダンス)
「ダンスとしてのフィルム」や「紀行実験映画」などのコンセプトのもとに映像を制作する。
映像作品「MONGOLIAN PATY」(’96)がイメージフォーラム・フェスティバル1997グランプリ受賞後、
ROTTERUDAM国際映画祭等、国内外の映画祭に正式招待される。
一方、89年より、広義のダンス作品、ボーダレスなパーフォーマンス作品群を「ALL」、
「”SHIN PING” art vision」もしくは個人名で発表。
ダンスにおけるクリシェから遠く離れた身体行為、触覚性を重視した表現形態、絵画的・映像的
といわれる構成で独自の創作活動を続ける。
ダンス・音楽・美術のジャンルを問わずパフォーマー、ダンサー、演出家、映像作家、振付家として活躍中。
3.29(Sat) – 4.12(Sat) 2003
PM12:30~PM7:30 Closed on Sunday
今展DM 表裏
方寸力学 山田和夫
「方寸」 ?一寸四方の正方形 ?こころ 心中 の意
確かに正方形 □ をくずすと |二| →心 になる。
・最小限度の個のかたちで、□ の中は、死(又は何もない)。
・四ツの辺がバランスを保って、生(又は外部)。
…人体を越えたところの精神の理想型として想像できます。
心 を最初から □ で書けば良いのに、と思ったことがある。そのとき逆に、ぶつぶつに切れた各辺に興味を持ったのを思い出す。自分の過去から現在の時間を線的にとらえている訳でもなく、まして面的に人生をとらえる事など出来はしない。ぶつぶつに切れた心の一辺に今生きている、と考えた方が自然なわけです。自分が絵を描くということにしても、よくわからない中を、なにか取り憑かれて描いていたような気がする。そして、そんな時々の一辺が出会う瞬間がある。あーそうか、と納得するというより□ の面―そう、面としてかたち造られた感じがした。一瞬ですけど。
出会いと言えば、心の各辺というより線の出会いを考えると、アラベスク模様が頭に浮かんで来ます。有機的だけれど無限な宇宙、そしてもう一つ英語のLから始まる単語の多くに、人間の生を表す、いわば方寸の四つの辺のバランスに似た語を見つける事が出来ます。Live,Love,Load,Lust,Life, Liberty,Least(最小の)、……etc.
「方寸」・・・私たちが拠るべき一辺すら見いだせなくなった現代、もう一度頭を巡らしてみてもおもしろいテーマではないか、と思っております。
「外連」
Keren. 歌舞伎の「早変わり」「宙吊り」等の軽業的演技をいいます。専ら俗受けを願う芸であり、同時に正法(客観的正当性)を破る動的なエネルギーの事でもあります。しかし、正法嗜好の観客からはいわば邪道の芸としてみられていたようですが、その辺の枠組みについては、私自身歌舞伎をあまり良く知らないので差し控えるとして、観客をある種の時空に引き込む「外連」というものに美術家としての関心をもっています。あまり普段聞きなれない言葉なので私なりに小話にしてみました。
小話1.「一人の少年の家の庭に、一本の木がありました。ある日、彼の母親が『あの木に登ってみなさい』と彼に命じたので、彼は一生懸命に上のあたりまで登ったのであります。彼は得意気に下にいる母親を見ました。その時です。彼の母親は、彼に優しく声をかけました。『ハイッ、そこで手を離して!』……。」
この小話が外連の台本であれば、少年は、手を放さなければなりません。なぜなら木にしがみついている少年は物質的現実で、彼の木登りは正法としての芸である訳ですから。観客にしても木の上の得意顔の少年を観るよりも落ちる少年を観ことの方がずっと見応えがあります。
・・・少年は手を離しました。一瞬ではありますが彼が空中で感じた事は、下で彼を受け止めてくれるに違いない母の事ではなく―それは、雑多の認識を越えた、基準のない空間への引っ越しであったのです。観客もそれを多少感じる見応えの内に・・・
小話2. 私の年とった母が、ある日脚立に乗って、伸び過ぎた庭木の枝をノコギリで切っていたので私は、「そんな事ァ、俺が後でやるから、危ないからやめろ!」と言いますと母は、「下に落ちりゃ1メートル、上に落ちたらきりが無い、だから大丈夫だ」と申しました。
この小話は私の家庭での事です。人間を物質と解釈すれば上に落ちるはずはないのですけど、霊性と解釈すれば上に行こうが下に行こうが不思議は無い。私の母も年をとって完全にしわくちゃの婆さんです。物質的には張りも無く、年々縮んでいくのがよくわかります。しかし、その分霊性のひろがりのようなものが妙に感じられ、その時は思わず、うなづいてしまいました。
霊性とは、人間の基本的「すなおさ」に根ざした生命の本来的エネルギーの事です。「外連」とは、現実には見えない霊性(「すなおさ」)の移行を極めて視覚化(絵空事化)した表現を言うのではないかと考えます。その霊性が、きりの無い空間「外」に連なるためには、主体(例えば小話の中の少年、私の母)は「外」という総体と対峙するだけの表現・技術を持ち合わしてなければなりません。なぜなら霊性そのものを描く事は出来ないからです。あくまで、見えるものにおいて表出・感知される、物を使うしか方法を持たない美術においても同じ事で、物が物である事を諦めて一つの生き物に転化されるまで、「外連」には至らないと思います。
1975年から美術家として毎年発表活動を続け、84年〜90年「外連」シリーズで目の機能と絵画にこだわり続ける。
93年演劇初参加となる「S 空白の舞台をめぐって」で斉木燿氏と共同演出。
97年演劇ユニット「山田工務店」結成。同じ年「近景の舞台」、98年「個の矩形」を発表。
00年[半島1]に参加、「個の矩形2」「南下浦カフェ」を発表。
現在も演劇と絵画を往来する形で制作を続ける。
1947 東京生まれ
< グループ展 >
1975 「プラモデル」 サトウ画廊 / 東京
1976 「ブラモデル?」 サトウ画廊 / 東京
1977 「幽霊」 サトウ画廊 / 東京
1979 四人展 真木画廊 / 東京
1981 人形展 川上画廊 / 東京
1986 「万象の変様」展 埼玉県立近代美術館
1987 グループ展 エキティプラナーズ・コーポレーション / カナダ
1987 「万象の変様」展 埼玉県立近代美術館
1987 「良苦多過利」展 NHK鶴岡放送局ギャラリー / 山形
1990 「春夏襲踏」展 ギャラリーサージ / 東京
第9回平行芸術展 小原流会館 / 東京
1993 アーティストセンター展 東京都美術館
2.26(Wed) – 3.14(Fri) 2003
PM12:30~PM7:30 Closed on Sunday
今展DM 表裏
ー虚空からー
私が最初に描いた絵の記憶は、地面にクギで描いた飛行機である。
その頃の土や水、空気の肌触りは、
記憶の古態として身体の奥に眠っている。
だから、ただひたすらに描いて呼び起こす。
虚空からの贈り物を感じるのはそんな時である。 玉 征夫
玉 征夫個展 ー虚空からー に寄せて 稲 憲一郎(美術家)
モノクロームに近い点の集積、アクリル絵の具を使ってのドットによる作品から、 ’00 年の個展を境にその作品は大きく変貌した。
99年当時、玉さんは描くことに行き詰まっていた。そんな頃ペルーに旅し、ナスカの地上絵を飛行機から見る機会があった。子供の頃、ちょうど敗戦直後で空には B29が飛んでいて、落書きをするような紙もなく地面に釘等で絵を描いていた。
ナスカの地上絵をペルーの上空から見た時、そんな絵のことを思い出したと言っている。
’98 年までの彼の作品は、今の作品に比べればはるかにコンセプチュアルな仕事で、先に方法があり、それをどこまで画面の中で実践していけるかという作業だった。
それは制作の過程で出てくる様々な問題を作業の中で制作に還元する、拾い上げていくのが難しく、いろいろなものを切り落としていかなければならない。そんなところからの行き詰まりもあったのかもしれない。そしてペルーでの体験が、描くことに対する気持ちとともに、線で描くという方法の問題としても、絵を描く事の原初的なものとして喚起したのだろう。
点というのは、どこかでアウトラインを決定しないと形象になりにくいが、当然のことだが点に対して線は、それ自体で形象を結んでしまう。だから彼が描くことの方法として線を選択したときから彼の創り出す画面は、全く違うものを見せていると感じられる。
絵を描くという事は、自分がある方向に向かってアクションを起こす運動だが、線というのはそういうものがはっきりと見えてくる。線というのは否応なく、ある運動感とか方向性を持ち、そのストロークがどちらからどちらへ向かって引かれているかということだけで、あるイリュージョンを生成する。それは作家の意図にかかわらず、見る側に何がしかをイメージさせる形象として現れてくるのだろう。
例えば頻出する、こちらから向こうへ、向こうからこちらへ回転する円運動が創り出す、螺旋状の線には、その巾を空気が流れて行き、流れの巾を浮いているという感覚を覚える。またそれは、作者自身の願望とも繋がるのかもしれない。彼が意識的に繰り返し画面に描いている飛行機のような形態も、上空からあの子供の頃に地面に描いた落書きを見るように、下へと向かう視点を繰り返そうとしているのかもしれない。そしてそれらが創り出す線は、二次元の広がりの中にイリュージョンとしての空間性を成立させ、見る者の記憶を呼び起こすような形象を結んでゆく。
線が画面という限定された空間を、時には大きくはみ出していく。それと同じように画家は自分を逸脱した部分をその画面の中に見ることが出来る。そしてそれらを拾い上げ、もう一度画面の中に還元することも出来る。
こうして彼が描く一本一本の線の動きや強さ、方向性といったものが創り出す差異が、彼の個別性-玉 征夫-という差異として見えてくるのだろう。
玉 征夫(たま いくお) 画家
1944 岐阜県高山に生まれる
【グループ展】
1970 Two-Men Exhibition(ギャラリーオカベ/東京)
1983 Artrans-Gigmenta ’83(アクシスギャラリー/東京)
1985 Cherry Brossom Festival(画廊春秋/東京)Lithograph Review 44(大阪フォルム画廊/東京)
The Year End Festival(画廊春秋/東京)
1986 Lithograph Review 44(アクシスギャラリー/東京)
1987 Lithograph Review 44(Maison des Beaux-Arts/パリ)
1991 Lithograph Review 1991 Tokyo + Wasington,D.C.
(町田市立国際版画美術館/東京)
(GALLERY K,JAPAN INFORMATION & CULTURE CENTER,
GEORGE WASHINGTON UNIVERSITY GALLERY/ワシントン)
MOVE ’91(ギャラリーセーラム/千葉)
1992 第5回アクリラート展(目黒美術館/東京)
1993 GROUP SHOW(J2 GALLERY/東京)
93~98 DRAWINGS(ギャラリー宏地/東京)
1996 K-NT134 「音のない夏」(三浦市三崎旧魚市場/神奈川)
1997 芝山国際野外アート展 ’97(芝山仁王尊観音教寺/千葉)
1999 Two-Men Exhibition(ギャルリーヴェルジェ/東京)
アートエミッション熱海’99(後楽園ホテル/静岡)
ヴェルジェ展(ギャラリーヴェルジェ/東京)
2003 DRAWINGS 2003(SPC Gallery/東京)
ピエゾグラフ展(ポルトデザール/東京)
2004 DRAWINGS 2004(SPC Gallery/東京)
ピエゾグラフ展(新井画廊/足利)
音楽からの贈り物展 III(gallery汲美/東京)
古代と現代の出会い(歐亞美術/東京)
それぞれのピエゾグラフ(ポルトデザール/東京)
2006 WAX WORK SITE(ギャラリー砂翁/東京)
【その他】
1991 「ZONE」THE ALTERNATIVE ART SCENE 公開プレゼンテーション
(財)多摩市文化振興財団(パルテノン多摩/東京)
1992 第5回ホルベイン・スカラシップ
【収蔵】
1987 パリ国立図書館(リトグラフ)
1.7(Tue) – 1.24(Fri) 2003
PM12:30~PM7:30 Closed on Sunday
今展DM 表裏
ギャラリーオープニング企画
絵画のありかを求めて
「絵画」とはどこにあらわれるものなのだろう。筆を受け止めては抗いつつその力を押し返すカンヴァスの上にだろうか。輝きを帯びた絵具の表面にだろうか。 あるいは、その前に立つ私たちの網膜の上にか。それとも、現前するさまざまなかたちを、打ち消しながらもつくりあげていく、描き手の内面にのみあられるも のなのか。
伊藤七男の仕事はずっとそのこと、絵画のありかはどこか、という問いに向けられてきた。70年代末から80年代初頭にかけての、透明な支持体を用いた作 品でも、追求されたのは絵画のあらわれる場所であった。すべての表面を描きつくし、さらには透明な支持体を透かして壁面へと映し出される濃密な線。物質の 表面に描かれることなくしては存在しえない絵画を、あえてその表面から解き放つかのような荒業。絵画の物質性と平面性に対する真摯な問いが重ねられた。
伊藤は自らに課したその問いから逃げることがなかった。今となっては「狂乱」という言葉で思い出される80年代、そうして「失われた」90年代。そのよ うな時代の中を、伊藤は自らの絵画のあらわれを求めて、ひとり歩いてきた。「絵画」のありかはどこか、と問いつづけながら。
作品はしばしば自立するスクリーン状の形態をとる。あるいはシェイプド・キャンヴァスに描かれて、その置かれる空間と拮抗する。作品を見る私たちは周囲 を巡り、壁を見渡し、ときに作品のただなかにうがたれた穴や隙間から、向こう側の空間を覗き見たり、する。支持体の形態に驚き、その上にあらわれるさまざ まなテクスチュアを喜ぶ。伊藤の作品を見る体験は、絵画を見ることであると同時に、立体作品を見ることでもあり、さらにはその作品を通り抜け、また戻り来 る、私たちの視線の内に生起する時間そのものの体験でもある。いちどきには捉えがたいその作品は、見る者にさまざまに異なる領域を交通することを促す。作 品空間の内と外、美術の歴史の過去と現在、芸術の世界と生活の空間。ゆったりとした視線の運動の中で、私たちも伊藤と共に、絵画のありかを探していること に気づくだろう。美術という営為そのものの存在すら危うい今日、ひたすらにそのありかを探しつづけること、そのことによってしか、私たちの美術は存在しえ ないのかもしれない。伊藤の静かな歩みはそのことを教えてくれる。
杉村浩哉(栃木県立美術館学芸員)
伊藤 七男 (いとう ななお) 絵画造形作家
53年岐阜県生まれ。80年東京芸術大学大学院で芸術学修士を取得。
創作活動は、身近にある素材(和紙、木、ガラス、ビニール ) などを使って平面から立体へと展開し、空間や光と反応する彩りを重視した作品が多い。
今までの美術の枠組みにとらわれず自由な発想で芸術の可能性を追求している。
【個展】
1979 サトウ画廊 銀座
1981 コバヤシ画廊 銀座
1982 田村画廊 神田
1983 コバヤシ画廊 銀座
1985 ギャラリー射手座 三条
1985 真木画廊 神田
1987 パレルゴン 神田
1988 パレルゴン 神田
1988 ギャラリーぐばく 日高
1988 シェリーアートスペース 神田
1989 NWハウス 早稲田
1990 お茶の水画廊 お茶の水
1991 スペースアルテクト(大宮西武) 大宮
1992 お茶の水画廊 お茶の水
1992 ギャラリー祇園 狭山
1993 ギャラリーぐばく 日高
1995 お茶の水画廊 お茶の水
1997 T・BOX 銀座
1997 ギャラリー魁 那須塩原
1999 お茶の水画廊・淡路町画廊 お茶の水
1999 旧三波川中学校・あそびの学校 鬼石
1999 自宅展 那須
2001 ひこね市文化プラザ 彦根
2002 馬頭町広重美術館 馬頭
2003 SPCギャラリー 兜町
【グループ展 団体展 企画】
1977 間の変奏 真木画廊/神田
1980 絵画のアナグラム 横浜市民ギャラリー/横浜
1981~84 午後の会 玉屋、十字屋/銀座、大阪フォルム画廊/銀座
1984~88 大谷地下美術展(4回出品、1回企画)大谷資料館地下採掘場跡
1986 アナロジー ’86 千葉県立美術館/千葉
1986 万象の変様プレ展 パレルゴンII/神田
1986 万象の変様 埼玉近代美術館/浦和
1987 斉藤豊作と日本の点描 埼玉近代美術館/浦和
1988 絵画からの展開 所沢西武/所沢
1989 THREE EYES EXHIBITION 淡路町画廊/お茶の水
1989 ウインドウ オブ マージナルアート 浜松遠鉄百貨店/静岡
1989 HEXAGON 大宮西武/大宮
1991 日本ベルギー国際交流展 旧金竜小学校校舎/浅草
ORIENTATION CINQUANTE゜NORD/ブリュッセル
1991~00 膨脹展 所沢ミューズ レタホア王の館/所沢、ギャラリー門 ギャラリー桃山 市立博物館/狭山
1993~98 DRAWINGS展(6回) ギャラリー宏地/神田
1994 3人展 富士見公民館ホール/狭山
1999~01 あじょったや展 ライスセンター/千葉
2000 アートウォーク 自宅/那須
2001 千年の扉 栃木県立美術館/宇都宮
2002 馬頭畑展 中村宅/馬頭
2004 水彩の回廊展 SPCギャラリー/兜町
2004 スローアート展 SPCギャラリー/兜町
|
03-3666-1036 12:00~19:00
|
local_phone TEL |
contact_mail お問い合わせ |
スマホ決済がご利用頂けます。
ご希望の決済方法をお選びください。
キャッシュレス決済がご利用頂けます。
お支払い方法は各サービスのご利用方法に準じます。
※ご新規で電子決済サービスをご希望の方はアプリケーションストアよりダウンロードしてください。